金乗院。所沢市上山口にある真言宗豊山派寺院

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金乗院。行基菩薩作が千手観音を本像として創建、山口観音

金乗院の概要

真言宗豊山派寺院の金乗院は、吾庵山放光寺と号します。金乗院は、行基菩薩作が千手観音を本像として創建、弘法大師が開基、新田義貞が戦勝祈願するなど、山口観音として崇敬を集めたとといいます。天正19年(1591)山口観音堂領として寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。武蔵野三十三観音霊場13番、狭山三十三観音霊場初番、奥多摩新四国霊場八十八ヶ所52、65、67、77、79番、武蔵野七福神の布袋尊です。

金乗院
金乗院の概要
山号 吾庵山
院号 金乗院
寺号 放光寺
住所 所沢市上山口2003
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



金乗院の縁起

金乗院は、行基菩薩作が千手観音を本像として創建、弘法大師が開基、新田義貞が戦勝祈願するなど、山口観音として崇敬を集めたとといいます。天正19年(1591)山口観音堂領として寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による金乗院の縁起

(新堀村)観音堂
山口観音と號す、此邊昔は近村をすべて山口と號せし故にかく呼べるなり、天正十九年観音堂領十石の御朱印を給ひしより、今も御朱印の地なり、本尊は千手観音行基菩薩の作にして、弘法大師の開基と云、さればことに古跡にして、諸方よりも詣る人多し、縁起あれど略してのせず、堂の軒に撞鐘一口をかく、其形状異様にして古色なり、今按に隣村大鐘村は昔撞鐘を穿ち出せし地なるよし、土人の語り傳ふるに據ば、もしくは其鐘を當所へ納めたるにや、さもあらんには、一旦土中に埋れしを、後に掘出したる鐘なり、其圖上の如し、口径二尺、高三尺許、半面は許由巣父の品を彫る、畫様金色等は尋常の物とは見えざるなり。
寶物新田
義貞願書一通。
伏言
山口観世音前我
君爲逆臣見漂于西海、(愚臣義貞)今也當不遜之道、爲資
王化、把斧鍼臨敵陣、仰願大慈薩埵、添一發千射之悲箭、速退朝敵、令爲天下静謐賜、至精丹祈敬白、
元弘三年庚申五月十五日(花押)
安に此文書恐らくは贋物なるべし、紙性色全く其世のものとはおもはれず。
人丸像一軀。木像にて長五寸許、近き頃旗下の士多田三八正峯が寄附する所なり、延文年間頓阿法師大和國檪本なる人、丸塚に立る杉を以、百體彫刻せし其一なりと。
二王門。
鐘楼。鐘は近き頃の鋳造なり。
御供所。籠堂。攝待所、閻魔堂。地蔵堂。稲荷二社。
辨天社、社の傍に、貞治四年の古碑及断碑一枚あり。
櫻。義貞誓の櫻と呼べり、されど古の櫻はかれて、後に植つぎし木なり。
別當金乗院。吾庵山放光寺と號す、観音堂よりは東の方十三丁許を隔つ、新義真言宗にて、江戸大塚護持院(註:現護国寺)の末寺なり。(新編武蔵風土記稿より)


金乗院所蔵の文化財

  • 木造千手観音立像(所沢市指定文化財)
  • 朝鮮式銅鐘(所沢市指定文化財)
  • 算額(所沢市指定文化財)
  • 石川文松筆 六歌仙図大絵馬(所沢市指定文化財)
  • 観斎筆 煙草屋図大絵馬(所沢市指定文化財)
  • 三上文筌筆 富士巻狩図大絵馬(所沢市指定文化財)

金乗院の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿