妙善院。武蔵野三十三観音霊場、狭山三十三観音霊場
妙善院の概要
曹洞宗寺院の妙善院は、光輪山三ヶ島寺と号します。妙善院は、澤次郎右衛門吉縄(光輪院殿)の子、勘七郎吉宗が開基となり、浄牧院11世呑碩(承應元年1652年寂)を開山に迎えて創建、慶安年間には寺領11石の御朱印状を拝領したといいます。狭山三十三観音霊場結番、武蔵野三十三観音霊場14番です。
山号 | 光輪山 |
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院号 | 妙善院 |
寺号 | 三ヶ島寺 |
住所 | 所沢市三ヶ島3-1410 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙善院の縁起
妙善院は、澤次郎右衛門吉縄(光輪院殿)の子、勘七郎吉宗が開基となり、浄牧院11世呑碩(承應元年1652年寂)を開山に迎えて創建、慶安年間には寺領11石の御朱印状を拝領したといいます。
新編武蔵風土記稿による妙善院の縁起
(三ヶ島村附新田)妙善院
光輪山と號す、曹洞宗、多磨郡前澤村浄牧院の末寺なり、慶安年中寺領十一石餘の御朱印を賜はる、開基は家傳によれば澤次郎右衛門吉縄が子、勘七郎吉宗といひし人なりと云、又寺傳に云所はもとの地頭澤次郎右衛門寺勝その亡父次郎右衛門幸時がために、開山僧呑碩を住持として起立せり、幸時が院號を光輪と云、是を山號とす、呑碩は承應元年三月十日化す、本尊白衣観音坐像にして長六寸許り、行基の作なりと云、當寺古くは小名寺山と云所にありしを、後ここにうつせしと云。
惣門。楼門、楼上に十六羅漢の像を安ず。
金毘羅社。白山社。衆寮。
古墓、五輪の塔なり、嘉暦四年三月二日了存順廓六十二歳と刻す、是澤次郎が碑なりと云、されど其家の記によれば、先祖佐和次郎が墓當寺にあり、その碑面に佐和次郎嘉暦元年としるし、法名月日等詳ならずと云、されば其正しきことをしらず、ただし嘉暦四年の墓は自ら別人なりや、何人の墓なることをしらず。(新編武蔵風土記稿より)
妙善院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿