勝光寺。北条時宗開基、狭山三十三観音霊場
勝光寺の概要
臨済宗妙心寺派寺院の勝光寺は、瑞幡山と号します。勝光寺は、鎌倉建長寺第一世石門和尚が弘安4年(1281)に開山、北条時宗を開基として創建したといいます。天正19年(1591)に京都より慶叟和尚が入寺、徳川家康より寺領20石の御朱印状を拝領したといいます。狭山三十三観音霊場5番です。
山号 | 瑞幡山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 勝光寺 |
本尊 | 白衣観音像 |
住所 | 所沢市山口1410 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
勝光寺の縁起
勝光寺は、鎌倉建長寺第一世石門和尚が弘安4年(1281)に開山、北条時宗を開基として創建したといいます。天正19年(1591)に京都より慶叟和尚が入寺、徳川家康より寺領20石の御朱印状を拝領したといいます。
新編武蔵風土記稿による勝光寺の縁起
(堀之内村)勝光寺
瑞幡山と號す、臨済宗、京都妙心寺の末、昔は鎌倉建長寺の末に属せしと云、此時始て今の本山に属せしとなり、又此慶叟が時天正十九年に寺領二十石の御朱印を賜へり、其文には地名を日東高麗郡と記せり、寺傳に云昔此邊總て高麗郡の内なりしが、今井九右衛門が御代官所の時より當郡へ入りしとなり、されど總説にものする如く、古くは多磨郡に属せしより傳へもあればうけかひがたし、本尊白衣観音。
不動堂。此像は長四尺許、若狭法眼賀竹と云者、天文十七年につくりしものなりといへり。
楼門。楼上に鐘をかく、享保年中に鋳しよりを刻せり、釋迦文殊普賢及十六羅漢の像を安置せり。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による勝光寺の縁起
抑々當山は弘安四辛己年鎌倉建長寺第一世石門和尚が開山せられ北条時宗公を開基として創建せられましたが、元弘の乱に屢々兵馬の巷となり堂宇悉く灰燼となり、其の後正平十一年慈眼庵次で慈光庵其の他諸堂宇が再建せられ、門風大いに賑いましたが、永正年間に再び回禄の災に遭い堂宇烏有に帰し頗る衰微するに至り天文十七年に不動尊を安置し信者を募り烣復を期すべく檀徒相計り寺門の復興につとめたが元亀三年時の住持が没し圓覚寺派の僧を住持として迎え自来圓覚寺派となり天正十九年に京都より慶叟和尚来山入寺し徳川家康公より寺領として境内地壹万坪御朱印貳拾石を下附せられ速禅和尚の時客殿及び山門等の諸堂宇共に再建せられ當山の門風大いに賑い太平の幕末の世まで続き今日に至った。(境内掲示より)
勝光寺所蔵の文化財
- 勝光寺本堂(所沢市指定文化財)
- 勝光寺山門(所沢市指定文化財)
- 綸旨勅諡善光勝智禅師、勅諡法源如実禅師、弐幅(所沢市指定文化財)
勝光寺山門
瑞幡山と号し、臨済宗妙心寺派の寺である。
同宗の野火止の平林寺、上富の多福寺と共に美しい楼門造りの山門を有することが特徴である。
弘安元年(一二七八)北条時宗の創建と伝えられ、中興、東山天皇より賜わる綸旨を寺宝としている。山門は元禄七年より堂々たる楼門で、市内における唐様の白眉ともいえる美しい建築である。
粽(ちまき)を有する太い円柱、花頭窓、組子入りの桟唐戸など年輪の美しさに酔うばかりで、十六羅漢を奉安している楼上より望む狭山丘陵の風光は心を洗うながめである。
本堂は延宝五年(一六七七)の建立、鐘楼は享保十六年(一七三一)の建立で、本堂外陣に安置する不動明王は、天文十七年(一五四八)二月、相州大山住、若狭法眼賀竹の三十二才の作である。(所沢市教育委員会掲示より)
勝光寺本堂
勝光寺本堂は、「京都龍安寺の塔頭の方丈を延宝五年(一六七七年)に移築、行田の宮大工が建築した」との伝承をもちます。
現在、本堂は入母屋造の桟瓦葺ですが、この形式は昭和三十四年(一九五九年)に改められたもので、それ以前は、寄棟造の茅葺でした。平面構成は、ともに両側に脇間を備えた内陣、外陣からなる六間取り形式をとっており、外陣の南側には広縁が設けられています。また、意匠的特徴としては、内陣の全面に仏壇を設け、丸柱や組物を用いない簡素なつくりであり、外陣とその両脇の三室全体を一つ天井で覆い、天井が浮遊するように見える蟻壁を設けています。
このような建築形式や意匠や、江戸時代初期における京都の臨済宗系寺院の方丈建築の特色をよくあらわし、京都からの移築の可能性をうかがわせます。しかし、建物調査によると、柱間は京間の寸法基準とは異なり、江戸時代の関東間の寸法基準ととっています。また、製作時期が異なると思われるヒノキ柱とケヤキ柱が混在し、ヒノキ柱の多くに新しい材で継ぎ足した根継ぎが見られました。
以上の調査結果から推測すると、この建物は、京都で解体され運び込まれた前身建物の部材を用い、行田の宮大工が関東間として建築したものと考えられます。
関東地方では、稀な建築形式を受け継ぐ建造物として大変貴重です。(所沢市教育委員会掲示より)
勝光寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿