三蔵院。川嶋三郎右衛門中興、足立坂東三十三ヶ所霊場
三蔵院の概要
真言宗智山派寺院の三蔵院は、龍亀山無量壽寺と号します。三蔵院の創建年代は不詳ながら、村民川嶋三郎右衛門(法諡無量寺俊儀居士、天正3年1575年寂)が堂宇を再建して中興したといいます。足立坂東三十三ヶ所霊場21番、北足立八十八ヵ所霊場32番です。
山号 | 龍亀山 |
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院号 | 三蔵院 |
寺号 | 無量壽寺 |
本尊 | 聖観世音菩薩像 |
住所 | 蕨市中央2-30-10 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
三蔵院の縁起
三蔵院の創建年代は不詳ながら、村民川嶋三郎右衛門(法諡無量寺俊儀居士、天正3年1575年寂)が堂宇を再建して中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による三蔵院の縁起
(蕨宿)三蔵院
三學院末、龍亀山無量壽寺と號す、本尊弥陀、開山を惠陽と云、示寂の年月詳ならず、古村民川嶋三郎右衛門と云もの堂宇再建せしかば、中興の開基とす、天正三年三月卒せり、法諡無量寺俊儀居士と云、則此法諡をとりて寺號とせしなるべし、其子孫今尚村民に残れり。
神明社。
観音堂。此堂破壊せし後いまだ再建ならず、縁起を見るに、此正観音の像は長二寸二分、行基の作にて、寶徳三年三月十七日の夜、當寺の住僧法院惠陽夢の告ありて、此邊の堀の中より感得せり、よりて別に長一尺二寸の像を作り、かの像を腹籠りにせしよしを載す、享徳二癸酉三月十八日、武州足立郡戸田領下蕨宿、龍亀山三蔵院法印惠陽敬白とあり、されど其比記せし者とも思れず、中古の僧古色に擬してしるせしものなるべし。(新編武蔵風土記稿より)
三蔵院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿