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上銀谷神明社。比企郡吉見町上銀谷の神社

上銀谷神明社の概要

上銀谷神明社は、比企郡吉見町上銀谷にある神社です。上銀谷神明社の創建年代等は不詳ながら、大同年間(806-810)に銀谷の村が始まって以来の鎮守社だと伝えられ、また戦国時代末期に江綱を開いた「江綱草分け七人衆」の一人、あるいは当時この地で活躍した伊勢の御師の氏神を当地に勧請したものではないかともいいます。貞享2年(1685)に銀谷村が上下に分村、当社は上銀谷村の鎮守社となっていました。

上銀谷神明社
上銀谷神明社の概要
社号 神明社
祭神 天照皇大神
相殿 -
境内社 稲荷社
祭日 -
住所 比企郡吉見町上銀谷267-1
備考 -



上銀谷神明社の由緒

上銀谷神明社の創建年代等は不詳ながら、大同年間(806-810)に銀谷の村が始まって以来の鎮守社だと伝えられ、また戦国時代末期に江綱を開いた「江綱草分け七人衆」の一人、あるいは当時この地で活躍した伊勢の御師の氏神を当地に勧請したものではないかともいいます。貞享2年(1685)に銀谷村が上下に分村、当社は上銀谷村の鎮守社となっていました。

新編武蔵風土記稿による上銀谷神明社の由緒

(上銀谷村)
神明社
薬師堂の預る所にして、村の鎮守なり、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による上銀谷神明社の由緒

神明社<吉見町上銀谷三三七-一(上銀谷字神明)>
社伝によれば、当社は、大同年間(八〇六-一〇)に銀谷の村が始まって以来、その鎮守として崇敬されてきたという。また、氏子の間には、江綱の五太夫様の氏神を当地に勧請したものであるとの言い伝えもある。「五太夫様」という人物については、明らかではないが、戦国時代末期に江綱を開いた「江綱草分け七人衆」の一人、あるいは当時この地で活躍した伊勢の御師ではなかったかと考えられる。
銀谷は、村の発展にともなって、貞享二年(一六八五)には上下二村に分かれたが、その際、当社は上銀谷の鎮守となり、下銀谷では稲荷社を鎮守として祀るようになった。『風土記稿』上銀谷村の項に「神明社 薬師堂の預かる所にして、村の鎮守なり」とあるのは、当時の状況を表したものである。なお、薬師堂は、霊亀年間(七一五-一七)に行基が境内の古杉一幹を使ってその本尊を作ったことに始まると伝えられる浄土宗の寺院で、現在は薬師寺と称している。(「埼玉の神社」より)


上銀谷神明社の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)