上細谷氷川神社。細谷郷の鎮守横見神社を勧請
上細谷氷川神社の概要
上細谷氷川神社は、比企郡吉見町上細谷にある神社です。上細谷氷川神社の創建年代等は不詳ながら、細谷郷と称していた当地から、当地が上細谷村として分村した際に、細谷郷の鎮守飯玉氷川神社(現横見神社)の分霊を勧請して村鎮守としたのではないかといいます。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社、天神社、三峰社、富士嶽 |
祭日 | - |
住所 | 比企郡吉見町上細谷316 |
備考 | - |
上細谷氷川神社の由緒
上細谷氷川神社の創建年代等は不詳ながら、細谷郷と称していた当地から、当地が上細谷村として分村した際に、細谷郷の鎮守飯玉氷川神社(現横見神社)の分霊を勧請して村鎮守としたのではないかといいます。
新編武蔵風土記稿による上細谷氷川神社の由緒
(上細谷村)
氷川社
村の鎮守とす、土人等東土氷川と稱すれど、其故を詳にせず、蓮性寺持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による上細谷氷川神社の由緒
氷川神社<吉見町上細谷一四五(上細谷字飯玉)>
吉見丘陵の東端は、古くから開発された所で、谷あいの湧き水を利用して谷田が形成された。集落は、この谷田と並行して南北に延びる自然堤防上にある。この地は、中世、細長い谷という意から細谷郷と名付けられた。この細谷郷は、戦国期、上細谷・下細谷の両郷に分郷し、江戸期に入ると、更にこれらの郷から上細谷村、下細谷村、御所村、中新井村、小新井村などの村々が独立した。当社は、この折、細谷郷の惣鎮守である飯玉氷川神社(式内社に比定される横見神社)より分霊を受けたものと思われる。
社名は、『風土記稿』に「東土氷川」と載り、『明細帳』にも「寛文二年(一六六二)四月、京都白川殿に於いて東土氷川許可あり」とある。しかし、この東土については明らかにできない。
別当は『風土記稿』によると、今泉村金剛院末の真言宗蓮性寺である。同寺は、明治初年廃寺となっている。現在、当社境内には、明和四年(一七六七)に蓮性寺法印観蓮が建立した稲荷神社がある。
蓮性寺の後、当社の祭祀に当たったのは、当地の原口孝慶である。孝慶が神職となったのは、名主家として代々郷民の訓導に力を注ぐ家柄に生まれるとともに、母親のキチが幕末から熱心に屋敷近くにある稲荷社を信仰していたことがあげられる。成人してからは、皇典講究所に学び、二荒山神社の神職としても活躍した。(「埼玉の神社」より)
上細谷氷川神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)