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丸貫熊野神社。比企郡吉見町丸貫の神社

丸貫熊野神社の概要

丸貫熊野神社は、比企郡吉見町丸貫にある神社です。丸貫熊野神社は、当地を元亀年間(1570-73)に開発した秋葉新左衛門元矩が勧請したといいます。境内地には、かつて当社の別当を勤めていた西蓮寺の名残として辰堂(観音堂)や歴代法印墓石が残されています。

丸貫熊野神社
丸貫熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 荒神社、天満、大六天
祭日 例祭7月14・15日
住所 比企郡吉見町丸貫339
備考 -



丸貫熊野神社の由緒

丸貫熊野神社は、当地を元亀年間(1570-73)に開発した秋葉新左衛門元矩が勧請したといいます。境内地には、かつて当社の別当を勤めていた西蓮寺の名残として辰堂(観音堂)や歴代法印墓石が残されています。

新編武蔵風土記稿による丸貫熊野神社の由緒

(丸貫村)
西蓮寺
新義眞言宗、今泉村金剛院の末、雨龍山と號す、本尊三尊彌陀を安ず、
熊野社。村の鎮守なり(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による丸貫熊野神社の由緒

熊野神社<吉見町丸貫三三九(丸貫字十二所)>
当社は、紀伊国に鎮座する熊野十二所権現(熊野大社)を勧請したことに始まると伝えられる。このため、鎮座地もこれにちなみ十二所という小名で呼ばれている。当地一帯は、「秋葉家文書」によると、元亀年間(一五七〇-七三)に秋葉新左衛門元矩により開発された。秋葉新左衛門元矩は、初め古河公方足利晴氏に仕えたが、弘治二年(一五五六)に晴氏が北条氏政に敗れたのを機に、北条氏の幕について当地を領した。当社は、戦国末期から江戸初期にかけて村の開発が秋葉家を中心に進められる中で、勧請された。
別当は当社の南側にあった真言宗の雨竜山西蓮寺である。現在、寛永年間(一六二四-四四)をはじめとする同寺法印墓石が残る。西蓮寺は、当社勧請まもなく建立され、今泉村の金剛寺の末寺に加わった。
江戸期の神社運営は、秋葉新左衛門元矩の裔が代々丸貫村の名主を務めたことから、この家を筆頭に村の重立の手により行われた。祭祀法楽は、西蓮寺住僧が行った。
享和二年(一八〇二)の「熊埜三社大権現」社号額がある。揮毫は当地で生まれ、比企郡滑川村興長寺で得度し、加賀国大乗寺二十九世となり、名僧といわれた愚禅和尚である。
明治期に入ると、別当西蓮寺は廃され、現在、往時の名残として辰堂と呼ばれる観音堂だけが残る。(「埼玉の神社」より)


丸貫熊野神社の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)