中新井神明神社。比企郡吉見町中新井の神社

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中新井神明神社。大地震によって出土した石剣を奉斎

中新井神明神社の概要

中新井神明神社は、比企郡吉見町中新井にある神社です。中新井神明神社の創建年代等は不詳ながら、貞元年中(976-978)或は貞和元年(1345)の大地震によって石剣が出土、このを祠石剣に祀り、中新井村の鎮守としたと伝えられます。その後、大洪水により大洪水により土中に埋没してしまったものの、応永8年(1401)に再興したといいます。江戸期には熊野社が村鎮守となっていたものの、明治4年村社に列格、明治41年字陣馬木の東天神社・熊野社・弁天社、字天神通の西天神社・頭殿社の五社の無格社を合祀しています。

中新井神明神社
中新井神明神社の概要
社号 神明神社
祭神 天照皇大神
相殿 -
境内社 熊野、牛頭天王、頭殿、三峰、天神、稲荷
祭日 例祭7月14・15日
住所 比企郡吉見町中新井892
備考 -



中新井神明神社の由緒

中新井神明神社の創建年代等は不詳ながら、貞元年中(976-978)或は貞和元年(1345)の大地震によって石剣が出土、このを祠石剣に祀り、中新井村の鎮守としたと伝えられます。その後、大洪水により大洪水により土中に埋没してしまったものの、応永8年(1401)に再興したといいます。江戸期には熊野社が村鎮守となっていたものの、明治4年村社に列格、明治41年字陣馬木の東天神社・熊野社・弁天社、字天神通の西天神社・頭殿社の五社の無格社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による中新井神明神社の由緒

(中新井村)
熊野社
村の鎮守なり
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神明社
以上蓮華寺持、
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天神社
薬王寺持、
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隆源寺
竹林山と號す、本尊不動、以上の三ヶ寺、新義眞言宗、御所村息障院の末なり、
辨天社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による中新井神明神社の由緒

神明神社<吉見町中新井八五四(中新井字御造作)>
『明細帳』並びに境内に建つ大正四年の「皇上即位記念修廟之碑」によれば、当社の由来を次のように記す。貞元年中(九七六-七八)の大地震の際、村の東南端にある林中の塚から石剣が出土したため、これを奉じて祠を建立し中新井村の鎮守とした。その後、大洪水によって土中に埋没したが、応永八年(一四〇一)に至り、この旧跡に天照皇大神と素盞嗚命を奉斎して再興を果たした。
一方、氏子の間に伝わる口碑には次のようにある。貞和元年(一三四五)の大地震によって石剣が出土したことから、これを祠に祀り、中新井村の鎮守としたが、その後の大洪水により土中に埋没した。応永八年にこの地に天照大御神・吾我津比賣神・伊弉册尊の三柱を奉斎し、以来中新井村・御所村・今泉村の人々から崇敬されるようになり、江戸中期においては社殿の造営や祭事の再興が相次ぎ、天保二年(一八三一)には京都の八坂神社から八坂大神を勧請して配祀した。
この二つの由来には、創祀年代と応永八年再興に奉斎した祭神について相違が見られるが、いずれが正史であるのかは明らかでない。
明治四年に村社となり、同四十一年に字陣馬木の東天神社・熊野社・弁天社、字天神通の西天神社・頭殿社の五社の無格社を合祀した。(「埼玉の神社」より)


中新井神明神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)