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山ノ下稲荷神社。比企郡吉見町山ノ下の神社

山ノ下稲荷神社の概要

山ノ下稲荷神社は、比企郡吉見町山ノ下にある神社です。山ノ下稲荷神社は、松山城の攻防戦で果てた武士山崎直宗の子息山崎隼人が、当地を開発、屋敷傍に、自身の氏神として永禄10年(1567)創建したといいます。

山ノ下稲荷神社
山ノ下稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 倉稲魂命、菅原道真公
相殿 -
境内社 石宮地稲荷社、天神社、富士浅間・浅間・津島社
祭日 -
住所 比企郡吉見町山ノ下830
備考 -



山ノ下稲荷神社の由緒

山ノ下稲荷神社は、松山城の攻防戦で果てた武士山崎直宗の子息山崎隼人が、当地を開発、屋敷傍に、自身の氏神として永禄10年(1567)創建したといいます。

新編武蔵風土記稿による山ノ下稲荷神社の由緒

(山野下村)
稲荷社
鳩峯寺持、下同じ、
--
天神社
--
淺間社
村民持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による山ノ下稲荷神社の由緒

稲荷神社<吉見町山ノ下六五二(山ノ下字宮田)>
当社は、松山城の攻防戦で果てた武士、山崎直宗の子息隼人により建立された。
天和元年(一六八一)十一月二十五日の「為取替申当村開発以来村系図并仕来儀定之事」(山崎家文書)によると、永禄九年(一五六六)北越の雄、上杉謙信の城攻めにより松山城守備の上田能登守朝直旗下にあった五人の武士が自害した。五人の子息である山崎隼人・小山兵庫・八木橋刑部・野沢図書・高橋采女は、遺言により当地に落ち、帰農して山ノ下村を開発した。
この内、開発郷士筆頭である隼人は、永禄十年(一五六七)三月に屋敷そばに氏神である稲荷天神社を建立した。これが当社である。山崎家は、代々名主を務める家柄であったことから、当社もおのずから村の鎮守として祀られるようになった。また、小山兵庫は、永禄十年九月に屋敷そばへ石宮地社(石宮地稲荷社)を建立した。なお、これら五名は、永禄十一年(一五六八)三月に当社と石宮地社の別当である鳩峯寺を開基し、更に、元亀二年(一五七一)八月に当地と隣接する松崎村境に両村惣鎮守「正八幡宮」を建立した。
なお、『風土記稿』には、当社の名が見えるが、小山家の石宮地社は同家の氏神であり続けたためか、その名が見当たらない。この石宮地社は、『明細帳』によれば明治四十年に当社に合祀されている。(「埼玉の神社」より)


山ノ下稲荷神社の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)