鳩峯寺。山野下・松崎を開拓した帰農武士が開基
鳩峯寺の概要
真言宗智山派寺院の鳩峯寺は、和光山と号します。鳩峯寺は、松山城守備の上田能登守朝直旗下にあった五人の武士の子息である山崎隼人・小山兵庫・八木橋刑部・野沢図書・高橋采女が、山野下・松崎を開拓、永禄11年(1568)3月に当寺を開基、その後圓慶(寛文13年1673年寂)が中興開山したといいます。この五人は、山ノ下稲荷神社、松崎八幡神社も創建しています。
山号 | 和光山 |
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院号 | - |
寺号 | 鳩峯寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 比企郡吉見町山ノ下、 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
鳩峯寺の縁起
鳩峯寺は、松山城守備の上田能登守朝直旗下にあった五人の武士の子息である山崎隼人・小山兵庫・八木橋刑部・野沢図書・高橋采女が、山野下・松崎を開拓、永禄11年(1568)3月に当寺を開基、その後圓慶(寛文13年1673年寂)が中興開山したといいます。この五人は、山ノ下稲荷神社、松崎八幡神社も創建しています。
新編武蔵風土記稿による鳩峯寺の縁起
(山野下村)
鳩峯寺
新義眞言宗、今泉村金剛院末、中興開山圓慶、寛文十三年五月廿九日寂す、本尊不動を置く、
阿彌陀堂(新編武蔵風土記稿より)
鳩峯寺の周辺図