福聚寺。比企郡吉見町田甲にある真言宗智山派寺院
福聚寺の概要
真言宗智山派寺院の福聚寺は、恵日山と号します。福聚寺は、天正19年(1591)に創建、江戸期には高負比古根神社の別当を勤めていました。
山号 | 恵日山 |
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院号 | - |
寺号 | 福聚寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 比企郡吉見町田甲1464-1 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
福聚寺の縁起
福聚寺は、天正19年(1591)に創建、江戸期には高負比古根神社の別当を勤めていました。
境内石碑による福聚寺の縁起
本堂新築記念
恵日山福聚寺本堂新築再建にあたって
当福聚寺は、天正十九年不動明王を本尊にしてこの地に創建され、以来四百有余年真言密教の法灯を護持して今日に至った。
その間享保三年十二月第十五世住職亮忠の代に、御所息障院孝澄大阿闍梨より法流を伝灯し寺門の興隆を極めたと云う。しかしながら明治八年四月第二十六世住職永賢の代、不幸にして災火に見舞われ本堂・庫裏・山門等由緒ある貴重な寺宝も悉く灰燼に帰した。先祖並びに檀信徒はいち早く仮本堂を建て爾来御本尊の加護と檀信徒の安寧を念じつつ本堂再興のため寺有財産の舊積を図り明治四十年十二月第二十八世住職盛興の代、本堂を再建した。又、昭和二年十二月第二十九世住職健明の代、山門を建造しその風姿を整えると共に更に昭和三十三年本堂の補繕改修を行った。しかし、この本堂も建立以来八十有余年を経るに及び老朽化著しく風雪に耐え難き様相を呈するに至った。
そこで当山主並びに檀信徒総代相謀り協議を重ね、本堂改築を発願し、菩提寺の護持興隆を図るべく檀信徒各位の協賛奉加を念願した処、檀信徒及び関係各位の御高徳ご寄進を賜わり、着手以来二年の歳月と多額の浄財により新築落成の運びとなった。茲に落慶を記念して碑を建立し、檀信徒各位の御報徳、御芳名を碑に刻すると共に当山代々先師の事跡をも碑に録し永く後世に顕彰せんとする次第である。(境内石碑より)
新編武蔵風土記稿による福聚寺の縁起
(田甲村)
福聚寺
新義眞言宗、御所村息障院の末、惠日山自性院と號す、本尊不動、開山秀傳寂年を傳へず、二世榮巌は寛永元年二月五日示寂す、(新編武蔵風土記稿より)
福聚寺の周辺図