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祐天堂|江東区亀戸の観光名所

祐天堂の概要

祐天堂は、江東区亀戸にある史跡です。祐天堂は、江東区亀戸にある祐天上人による六字名号供養塔を守る堂宇です。祐天上人は、江戸時代初期の浄土宗名僧で増上寺36世を勤めた後、元禄12年生実大厳寺となり、江戸と千葉を往来していたと考えられ、当地に死骸の多い事を憂い、供養したといいます。また、境内には木下川やくしみち道標も保存されています。

祐天堂
祐天堂の概要
名称 祐天堂
みどころ 六字名号供養塔、木下川やくしみち道標
区分 史跡
住所 江東区亀戸3-39
備考 -




祐天堂の縁起

祐天堂は、江東区亀戸にある祐天上人による六字名号供養塔を守る堂宇です。祐天上人は、江戸時代初期の浄土宗名僧で増上寺36世を勤めた後、元禄12年生実大厳寺となり、江戸と千葉を往来していたと考えられ、当地に死骸の多い事を憂い、供養したといいます。また、境内には木下川やくしみち道標も保存されています。

「江東区の民俗城東編」による祐天堂について

祐天堂
『東京亀戸境橋祐天堂名号石由来記』にある「高札の由来」によれば、「元禄年間祐天上人千葉方面に往来の途次偶々河中に情死老あるのを見て痛く憐み懇ろに回向せられ、戒名を与え自ら筆を執りて名号を記させ給ふ。徳高き上人の慈恩に酬いんと誓いしか爾来此付近の川辺に戯れ遊ぶ児童などが水に溺れたる例なしと云ひ伝え水難除、安産、児童等の守護詞として里人の崇め奉る所となれり、其名号石は今も尚堂内に存せり。斯く由緒深き堂宇なれば猥りに動かす時は忽ち災いありとて夫の霊妙威徳に感ぜざる者なし、然れば年々歳々七月二十四日は由縁の日と定め上人の遺徳を仰ぎ精霊の供養を僻怠なく営みて報賓の誠を致す所以なり」という。また、同書によれば、祐天堂内の「六字名号供養塔」には「南無阿弥陀仏□□□心居士/□□妙正信女」と彫られてあるとのことである。祐天上人の念仏供養塔は品川区上大崎の清岸寺にもあるが、このように信仰を集めていない。祐天上人の名号碑に関する特異な信仰であると思える。
『浄土宗大辞典』によれば、祐天は増上寺三六世で、江戸時代中ごろに活躍した高僧であり、将軍から庶民に至るまで生仏として尊敬された。寛永一四年(一六三七)に陸奥国岩城郡(福島県いわき市)に生まれ、各地で修行し、寛文三年(一六六三)に累の怨霊得脱をするなど念仏布教に専心した。貞享三年(一六八六)に増上寺から牛島に隠遁し、念仏生活を続け、元禄一二年(一六九九)生実大厳寺(千葉県)の住持となり、このとき将軍綱吉の母桂昌院の帰依を受けた。正徳元年(一七一一)には将軍家宣より増上寺の三六世住持に任ぜられ、享保三年(一七一八)、亡くなる三ヶ月前まで将軍吉宗に説法をしたということである。この年に、祐天の高弟祐海が目黒善久院の旧跡を拡張して廟合を建立し、祐天を開山とし、自らは二世となり、これが亨保七年(一七二二)に将軍吉宗の命により祐天寺と改められた。
『日本伝奇伝説大事典』によれば、祐天の生涯は早いうちから伝説化され、その中でも有名なものは累の説話である。下総国羽生村で入り婿に耐えられず百姓与右衛門は妻で醜女の累を鬼怒川に投げ込み、後に新しい妻を迎えるが、累の死霊が崇り、次々に新しい妻が亡くなる。六番目の妻が産んだ子の菊に累の死霊が崇って冥土物語をするのを、法蔵寺の祐天上人が勧化し、その法力により累の死霊は解脱するという説話である。川に流れる亡骸を解脱させるところに累と祐天堂の説話の類似点があると思える。
祐天堂の維持に祐天講と称する講社を結成したこともあり、昭和一一年(一九三六)には境町陸境進会ほか有志で奉仕することになった。昭和二〇年三月一〇日の戦災で由緒の御巻物・名号石の石摺御掛字・古来より伝わるお道具二箱は焼失し、お堂だけは焼け残った。昭和三〇年に祐天堂保存会が結成され、その後、保存会の維持が難しくなり、亀戸三丁目宮元町会で維持・保存することになった。(「江東区の民俗城東編」より)

亀戸三丁目宮元町会・祐天堂保存会掲示による祐天堂の由来について

六字名号供養塔伝祐天書
祐天堂由来
昭和四十一年に設けられた当時の説明板等に拠りますと、
その由来は、元禄年間に祐天上人が千葉方面に往来の途中、
この付近の川の中や川岸に多くの水死者のあるのを見て、非常に心を痛め、その霊を懇に回向されました。
その際に、これらの仏に戒名を与え
祐天上人、自らが筆を取って石にその戒名を記された供養塔をここに残されました。
後年、この供養塔を奉った祠が、この祐天堂であります。
それ以来、この付近では水死者もなく、またこの付近の子供たちが水辺で遊んでいても溺れたためしが無かったと言い伝えられ、
この付近に住む人々によって、水難除、安産、子供の守護の祠として崇め奉られ今日に至ります。(近年では、この祠に、交通安全祈願をなさる方も多いと聞きます。)
また、毎年七月二十四日を由縁の日と定め、祐天上人の遺徳を仰ぎ、精霊の供養を営む日と定められてまいちました。(亀戸三丁目宮元町会・祐天堂保存会掲示より)

亀戸三丁目宮元町会・祐天堂保存会掲示による境内「木下川やくしみち道標」について

木下川やくしみち道標
高さ七十一センチのこの道標は、ここ境橋から、木下川薬師堂(葛飾区東四ツ木一丁目)へ至る木下川薬師道(現在の仲居堀通り)を示すものです。
刻銘は、正面に 木下川やくしみち
右側面に、本石町寳暦十一年辛巳猛春
左側面に、あつまもり
あつまもりとは、吾妻権現社のことで境橋を渡った右手、北十間川沿いにありました。本石町は日本橋の町名で、この道標の建てられた寳暦十一年(一七六一)頃には、きっと江戸町人の参詣が盛んだったことがうかがえます。(亀戸三丁目宮元町会・祐天堂保存会掲示より)


祐天堂の周辺図


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