馬蹄寺。上尾市平方にある浄土宗寺院

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孤峯山馬蹄寺。鎌倉時代に創建、感誉存貞上人開山

馬蹄寺の概要

浄土宗寺院の馬蹄寺は、孤峯山寶池院と号します。馬蹄寺は、鎌倉時代に吾妻左衛門是好が、その伯父三輪庄司好光の菩提を弔うために、知道を庵主として小名大門に馬蹄庵と称して創建したといいます。天文年中(1532-55)感誉存貞上人が浄土宗寺院として中興、天正18年(1590)に当地へ移転したといいます(感誉存貞上人は、川越蓮馨寺を開山した他、芝増上寺10世となった名僧で、当寺の山号院号は川越蓮馨寺と同じです)。江戸期には徳川家光より寺領15石の御朱印状を拝領していました。足立坂東観音霊場28番です。

馬蹄寺
馬蹄寺の概要
山号 孤峯山
院号 寶池院
寺号 馬蹄寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 上尾市平方2088
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



馬蹄寺の縁起

馬蹄寺は、鎌倉時代に吾妻左衛門是好が、その伯父三輪庄司好光の菩提を弔うために、知道を庵主として小名大門に馬蹄庵と称して創建したといいます。天文年中(1532-55)感誉存貞上人が浄土宗寺院として中興、天正18年(1590)に当地へ移転したといいます(感誉存貞上人は、川越蓮馨寺を開山した他、芝増上寺10世となった名僧で、当寺の山号院号は川越蓮馨寺と同じです)。江戸期には徳川家光より寺領15石の御朱印状を拝領していました。

新編武蔵風土記稿による馬蹄寺の縁起

(平方村)馬蹄寺
浄土宗、入間郡河越蓮馨寺の末、孤峯山寶池院と號す、寺領十五石の御朱印を賜ふ、昔は小名大門にありしが、天正十八年ここに移せりと、寺傳の略に云昔當所に吾妻左衛門是好と云る者あり、其伯父なりける三輪庄司好光と云ものの爲に草菴を建て、知道と云僧を庵主となし、伯父の菩提を弔ひけりう、其頃は馬蹄庵と號し、馬頭観音を安ぜしと云、此餘三輪庄司が馬と化して人語をなし、及び蹄を折しことあるより寺號となせしとなり、さまざまの事を書つづれど怪談に亘れば取らず、遥の後天文年中感譽といへる僧當寺を再興し、山號寺號を銘して浄土の道場とせり、よりてこれを開山とすと云、又本寺の傳へにては、川越の城主大道寺駿河守政繁が母常に佛道を傾慕し、己が甥山角某の第二子を僧として、感譽上人と號し、平方村に一寺を草創せしむよりてかの法尼が謚をとりて蓮馨寺と號せり、其境内御嶽の社あるにより孤峯山と號し、又丸池と云あるをもて寶池院と名付、是より冬夏の法幢怠りなく僧俗群詣しけり、其後永禄六年上人江戸縁山へ轉住し、夫より諸刹を開建して遂に當寺に歸れり、此頃川越城主の指揮によりて、蓮馨寺を今の所へ引移せしにより、其跡へこの馬蹄寺を建立すと云、何れの是なるべきやは詳にせざれど、三輪庄司が馬と化せしなど云は妄誕なること歯牙をまたずして、明かなり、本尊三尊の彌陀を安ず。
鐘楼。明暦三年鑄造の鐘をかく。
観音堂。馬頭観音を安ず、是當寺往古の本尊なり、堂の傍に天文中の古碑二基立り、共に月待供養塔にて、灌律師賢秀阿闍梨、某十郎定重・彦五郎吉次助三など彫れり。(新編武蔵風土記稿より)

「上尾の神社・寺院」による馬蹄寺の縁起

鎌倉時代遊行の僧知道を庵主として、吾妻左衛門是好開基となって、馬蹄庵草創の由寺伝として伝えている。(「新編武蔵風土記稿」にも伝説として記載あり)。天文年中(1532-55)感誉存貞が一寺となし、孤峯山宝池院馬蹄寺と称した。昔は平方村内小名大門にあったが、天正18年(1590)現地に移ったと伝う。家光より15石の朱印状あり。(「上尾の神社・寺院」より)


馬蹄寺所蔵の文化財

  • 鈴木荘丹俳諧歌碑(上尾市指定有形文化財)
  • 紙本着色釈迦三尊像図(上尾市指定有形文化財)
  • 馬蹄寺徳本行者六字名号供養塔(上尾市指定有形文化財)
  • 馬蹄寺のモクコク(埼玉県指定天然記念物)

鈴木荘丹俳諧歌碑

鈴木荘丹は、享保一七(1732)年に江戸の商家に生まれ、名は荘蔵、のちに伊良といった。俳号は荘丹が良く知られているが、この歌碑に記される「菜中」もそのひとつである。荘丹はk、芭蕉十哲の一人、服部嵐雪を祖とする雪中庵三世の大島寥太の中でも抜きん出た学識の持ち主で、寥太も一目置くほどの人物であったという。
川田谷(桶川市)の門人、高柳菜英のところには荘丹の仮の庵があり、与野(さいたま市)に移り住んでからも川田谷へよく訪れていたという。このため、与野から川田谷へ向かう道筋にあたる市域の平方・畔吉・領家にも多くの門人が育った。道程の中間点にあった平方には、荘丹のための庵も作られたという。荘丹は、文化一二(1815)年、川田谷から与野に帰る途中、平方で没し、門人たちにより与野の妙行寺(さいたま市中央区鈴谷)に葬られた。享年84歳だった。
この碑は、荘丹が没する前年に立てられたもので、正面に俳諧歌が一首、側面に「文化十一(1814)年戌九月」の紀年銘が刻まれている。内容は俳諧を楽しむ者への戒めの言葉ともいうべきもので、荘丹の俳諧に対する信条をよく表している。
鈴木荘丹の平方における活動や、上尾やその周辺地域の俳諧文化を考える資料として貴重である。(埼玉県・上尾市教育委員会掲示より)

紙本着色釈迦三尊像図

この釈迦三尊像図は「釈迦十六善神図」とも呼ばれている。十六善神は、大般若経を守護する神々で、大般若経600巻を転読する法要の大般若会では、必ず十六善神図を掛けることになっている。
中央の釈迦如来を中尊とし、その右に知恵をつかさどる文殊菩薩、左に慈悲をつかさどる普賢菩薩を配する。このように釈迦如来を中尊に、文殊菩薩・普賢菩薩を両脇侍としている三体一組の絵柄を、釈迦三尊像図という。
三尊は金色に描かれ、釈迦の頭上には天蓋、背後には光輪が輝いている。このように釈迦如来を中尊に、文殊菩薩・普賢菩薩を両脇侍としている三体一組の絵柄を、釈迦三尊像図という。
三尊は金色に描かれ、釈迦の頭上には天蓋、背後に光輪が輝いている。文殊菩薩は青色の獅子に、普賢菩薩は白色の象に座り、三尊を囲んで左右に各八神ずつ計十六善神が並び、さらに二神と人物2人が描かれている。
室町時代のものと推定され、作者は不明であるが、図柄が鮮明で絵画的にも優れた貴重な仏画である。(上尾市教育委員会掲示より)

馬蹄寺の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「上尾の神社・寺院」(上尾市教育委員会)