清澤山泉蔵寺。慶誉寂心房法印開山
泉蔵寺の概要
真言宗智山派寺院の泉蔵寺は、清澤山地蔵院と号します。泉蔵寺は、慶誉寂心房法印(永徳2年1382年寂)が開山となり創建したといいます。
山号 | 清澤山 |
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院号 | 地蔵院 |
寺号 | 泉蔵寺 |
本尊 | 地蔵菩薩像 |
住所 | 朝霞市溝沼3-8-5 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
泉蔵寺の縁起
泉蔵寺は、慶誉寂心房法印(永徳2年1382年寂)が開山、当所は泉水地区にあり泉通院と称していたといい、正徳年間(1711)前頃に当地へ移転したのではないかといいます。
新編武蔵風土記稿による泉蔵寺の縁起
(溝沼村)泉蔵寺
除地二段、村の西南の方にあり、真言宗新義、豊島郡石神井村三寶寺末、清澤山と號す、本堂九間半に六間、本尊地蔵、坐像長一尺を安置す、開山は法印慶誉寂心房永徳二年壬戌九月二十四日示寂すと、云ときは古き院なることしるべし。
鐘楼。本堂に向て左にあり、楼は一間半四方、鐘は径一尺八寸高さ三尺、正徳四甲午四月日、當村の住前惣検校さん傳元誉院法印寄進せし由を勒す。
稲荷社。本堂に向ひて右にあり。
天神社。同じ所にあり。
観音堂。境内北の方にあり。
地蔵堂。観音堂の側にあり。
古碑二。観音堂の側にあり、正長二年八月、及び永正元年五月十五日等の年月を刻せり。(新編武蔵風土記稿より)
「朝霞市史」による泉蔵寺の縁起
溝沼地区・泉蔵寺
清澤山地蔵院泉蔵寺といい、宗旨は真言宗智山派で、本尊は木坐像の地蔵尊である。近世においては石神井三寶寺の末寺であり、一時は蕨市の三学院の末寺となったこともあるが、現在においては京都の大本山智積院の直末となっている。由緒等は詳らかでないが、『風土記稿』では永徳二(一三八二)年に寂した法印慶誉寂心房を開山としている。また、正長二(一四二九)年銘と永正元(一五〇四)年銘の板碑をともなうことから、少なくとも室町時代初期頃には何らかの寺院経営がなされていたと考えられている。ただし、もともと当寺は泉水地区にあったらしく、その頃は泉通院と称したともされ、正徳年間(一七一一)前頃に当地へ移建をみたのではないかとの推測もある。
一般には、古くは泉水の山の上にあったと伝え、泉水の泉と本尊である地蔵の蔵の字をとって泉蔵寺としたともいわれている。あるいは、渡来人が泉水に住み着いた際に立てられた寺であるとの憶測も飛び交っている。いずれにしても、長く無住時代が続いたようで、住職在住となったのは明治三十年からであり、現時点で三代目を数える。また、それ以来、光善寺を兼務している。なお、本堂・庫裡・客殿・観音堂とも昭和五十七年に改築している。(「朝霞市史」より)
泉蔵寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「朝霞市史」