下影森琴平神社。秩父市下影森の神社

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下影森琴平神社。水乞いの神として琴平神を勧請

下影森琴平神社の概要

下影森琴平神社は、秩父市下影森にある神社です。下影森琴平神社の創建年代等は不詳ながら、天正5年(1577)銘の建碑が残されていることから、安土桃山時代には祀られていたといいます。当地は、斎所山の麓にあたり、奥の院の地で武甲山を神と崇めて、水乞いの神として琴平神を勧請したと考えられ、熊野修験者が当社の創始に関わっている模様です。明治維新後、琴平神社と改称、明治24年奥の院地から、当地へ遷座、明治40年には、字滝ノ入の諏訪社、字内出前の八幡社、字上大沼の諏訪社、字大沼入の諏訪社を合祀しています。(当社へは、昭和電工秩父工場受付前を通って参詣します)

下影森琴平神社
下影森琴平神社の概要
社号 琴平神社
祭神 大己貴命
相殿 大日孁貴命、伊弉冉尊、軻遇突智命、金山彦命、大山祇命
境内社 稲荷、水神、大六天、八坂、産泰社・蚕影社・諏訪社、奥の院、祖霊社、聖徳宮
祭日 -
住所 秩父市下影森1455
備考 -



下影森琴平神社の由緒

下影森琴平神社の創建年代等は不詳ながら、天正5年(1577)銘の建碑が残されていることから、安土桃山時代には祀られていたといいます。当地は、斎所山の麓にあたり、奥の院の地で武甲山を神と崇めて、水乞いの神として琴平神を勧請したと考えられています。下記掲載の新編武蔵風土記稿では「廿六番觀音(岩井堂)」内に、熊野社・愛宕社と共に金比羅社と記され、熊野修験者が当社の創始に関わっている模様です。明治維新後、琴平神社と改称、明治24年奥の院地から、当地へ遷座、明治40年には、字滝ノ入の諏訪社、字内出前の八幡社、字上大沼の諏訪社、字大沼入の諏訪社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による下影森琴平神社の由緒

下記は、合祀社確認を兼ねて掲載しています。

(下影森村)
八幡社
村中の鎮守にて、例祭八月十五日、村民持、下同、
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諏訪社二社
八幡社
大六天社
天神社
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社宮司
祭神詳ならず、石神を請てしやぐじと稱するあれば、恐らくは石神宮ならんか
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愛宕社
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山神社
長福寺
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大六天社
村民持、下同、
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神明社
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山神社
上下影森兩村(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による下影森琴平神社の由緒

琴平神社<秩父市影森一四五五(下影森字中大沼)>
当社は武甲山北西に位置する斎所山の麓に鎮座する。斎所山の名は、武甲山を神と崇めて祭祀を行ったところから呼ばれるという。また、この山は通称をお伊勢山というが、これは、文化、文政のころ、お伊勢参りに出掛けた村人が、受けて来た神札を家に祀るのはもったいないと、この山中に石宮を造って神札を納めたことから付けられたといわれる。
創建は、当地が水に不便な地のため、水神として神威を発揚する琴比羅大権現を斎所山の頂に勧請したことによるという。斎所山は、間近に武甲山があることから、おそらく、村人はここから武甲山を望み、干ばつの折には降雨を祈請したものと思われる。更に、秩父地方に熊野修験が入ると、斎所山は格好の行場となり、この切り立った岩場に熊野権現・愛宕権現も祀るようになったと伝え、大天狗・小天狗の石柱、天狗の飛び石、護摩壇石、座禅石などもあることから、当社の創始に修験がかかわっていたことがうかがわれる。
明治に入り、当社は社名を琴平神社に改めた。次いで、明治二四年には、山上から現在地に遷座し、新たに社殿を造営し、同四〇年には、字滝ノ入の諏訪社、字内出前の八幡社、字上大沼の諏訪社、字大沼入の諏訪社を合祀した。(「埼玉の神社」より)


下影森琴平神社所蔵の文化財

  • 琴平神社の神楽(市指定無形民俗文化財)

琴平神社の神楽

当社の創建は不詳であるが、山上天狗の飛岩に、天正五年下組講中の建碑があり、又安永、寛政年間の奉額も保存され古い社である。
御祭神は
大己貴命(大国主命)主祭神
大日孁貴命(天照皇大神)
伊弉冉尊(熊野那智大社祭神)
軻遇突智命(火の神)
金山彦命(金の神、鑛山の神)
大山祇命(山の神)
この神社で舞われる神楽の伝来は、明治二十八年日清戦争の戦勝を祝し、秩父神社の附属神楽の伝授を佐野宗五郎より受け、翌二十九年二月神楽面装束道具一式を新調し、大沼組、中下組、滝ノ上組の三組により奉仕して来たが、太平洋戦争前、中下組のみのなったが、戦後広く下影森地区より奉仕者を募って復興した。
奏楽、舞は秩父神社の神楽とほぼ同様であるが、所作は同神楽に比して大まかである。
座組は三十六座と称しているが、その呼称は秩父神社のものと異なり、主に神名を座名としている。(琴平神社・秩父市教育委員会掲示より)

下影森琴平神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿