圓融寺。秩父市下影森にある臨済宗建長寺派寺院

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龍河山圓融寺。岩井堂、秩父三十四ヶ所札所

圓融寺の概要

臨済宗建長寺派寺院の圓融寺は、龍河山と号し、秩父三十四ヶ所札所の第26番観音で著名です。圓融寺は、宗猷大光(永正5年1508年寂)が開山、由縁は不詳ながら岩井堂の別当寺を務めています。県指定文化財となっている「景清のろう破り」は、江戸時代に江戸護国寺で行われていた秩父札所の総出開帳で奉納されたものです。岩井堂に奉安されていた聖観世音菩薩像は、現在当寺本堂に奉安されています。

圓融寺
圓融寺の概要
山号 龍河山
院号 -
寺号 圓融寺
住所 秩父市下影森348
宗派 臨済宗建長寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



圓融寺の縁起

圓融寺は、宗猷大光(永正5年1508年寂)が開山、由縁は不詳ながら岩井堂の別当寺を務めています。県指定文化財となっている「景清のろう破り」は、江戸時代に江戸護国寺で行われていた秩父札所の総出開帳で奉納されたものです。岩井堂に奉安されていた聖観世音菩薩像は、現在当寺本堂に奉安されています。

新編武蔵風土記稿による圓融寺の縁起

(下影森村)
廿六番觀音別當圓融寺
小名常木にあり、萬松山と號す、臨済宗鎌倉建長寺末、除地一段六畝、本尊正觀音長一尺六寸、天竺佛と云、開山宗猷大光、永正五年八月朔日化す、觀音の別當たりし所謂その詳なることを知らず、
本堂。乾向六間に九間半
庫裡。六間に八間、
薬醫門。五間に三間、(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による圓融寺の縁起

市指定史跡 札所二十六番
萬松山圓融寺(岩井堂
この札所の本尊は恵心僧都の作といわれる八寸七分の立像聖観世音で現在は圓融寺本堂に安置されているが、かつては岩井堂に安置されていた。岩井堂は寺より南へ約一・五粁に元久二年(一二〇五年・鎌倉時代)に建立した。周囲は急峻な地形で岩壁におおわれ、その中腹に三間四面の方形造りに、勾欄をめぐらし唐様の細部をなした美しい堂です。
正面谷間に向けての舞台造りは、京都の清水寺の舞台を偲ばせます。
眼下百米谷川よりの霊霧、眼前の武甲の雄姿を収めたこの堂に身をおく時、まえに補陀楽の浄土をみるに似ます。
岩窟にはその昔、弘法大師三七日の秘法を修めたという護摩壇、仏国禅師の座禅石、秩父別当武基の玄孫、秩父太郎重弘、その子重能、重忠等の信仰も深かりし縁起もあります。
本寺の本堂には昭和三十三年七月市指定の文化財「勝軍地蔵立像」像高一二一糎、木造寄木造りで玉眼入り鎧の上に環甲の袈裟をつけた鎌倉時代の優秀作といわれる仏像が安置されています。
この他、県指定文化財烏山石燕の「景清の牢破」絵画額等もあります。
昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定(境内掲示より)


圓融寺所蔵の文化財

  • 石燕の納額「景清のろう破り」一面(埼玉県指定有形文化財)
  • 勝軍地蔵立像(秩父市指定有形文化財)

石燕の納額「景清のろう破り」一面

烏山石燕(一七一二~一七八八)は、江戸中期の狩野派の絵師で、絵を狩野周信・玉燕に学んだが、後に俳諧師・狂歌師など江戸の粋人と親交を結び、その影響から浮世絵師としても活躍した人物である。
納額の大きさは、縦八六・五センチ、横五八センチ、厚さ二・五センチで、写真のように桧板三枚に冠木の名場面の一つである「景清のろう破り」と雲上から見守る白衣観音を描いている。牢格子や観音から発する光明に鉄材を用いて立体感を出すなど、工芸的な要素をもつ絵画である。
向って右隅に「烏山石燕」の署名、その下に雅号「零陵洞」の円印と「豊雲」と刻した方印が捺され、左側には奉納者「江戸小石川・宮下町田辺久作、五軒町・野島権左衛門」と「明和元申八月」(一七六四)の年号が墨書されている。江戸護国寺では、明和元年七月から秩父札所の総出開帳を行なっており、この納額はその際に奉納されたものである。(埼玉県教育委員会・秩父市教育委員会・円融寺掲示より)

圓融寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿