今泉鷲神社。東松山市今泉の神社

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今泉鷲神社。東松山市今泉の神社

今泉鷲神社の概要

今泉鷲神社は、東松山市今泉にある神社です。今泉鷲神社は、大永2年(1522)に鷲宮町の鷲宮神社を勧請して創建、村の鎮守として祀られ、江戸時代に5度の社殿造営を行なったといいます。明治32年村社に列格していました。

今泉鷲神社
今泉鷲神社の概要
社号 鷲神社
祭神 -
相殿 -
境内社 大六天、稲荷
祭日 春祭り4月5日、灯籠7月8日、秋祭り10月15日、新嘗祭12月5日
住所 東松山市今泉278
備考 -



今泉鷲神社の由緒

今泉鷲神社は、大永2年(1522)に鷲宮町の鷲宮神社を勧請して創建、村の鎮守として祀られ、江戸時代に5度の社殿造営を行なったといいます。明治32年村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による今泉鷲神社の由緒

(今泉村)
鷲宮
村の鎮守なり、勧請の年代詳ならず、社内に天和元年再興の棟札あり、寶蔵寺持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による今泉鷲神社の由緒

鷲神社<東松山市今泉二七八(今泉字東町)>
今泉の名は『小田原衆所領役帳』に見え、弘治元年(一五五五)に検地が行われたことがわかる。このころには既に村落が形成されていたものであろう。
当社の社叢は、今でこそ境内を覆うだけのこぢんまりとした杜であるが、昭和十年ごろまでは、その周辺一帯にまで広がる山林で松や杉の大木が林立し、氏子から「鷲山」の名で呼ばれていた。
社伝によると、当社は大永二年(一五二二)に鷲宮町の鷲宮神社から勧請したことに始まり、その後、天和元年(一六八一)をはじめとして江戸期に五度の社殿造営を行ったという。『風土記稿』にも「社内に天和元年の再興の棟札あり」と記されている。享保十二年(一七二七)には、宗源宣旨により正一位の神位を授けられた。
往時の別当は、真言宗鷲宮山宝蔵寺である。開山の忠祐が天正二年(一五七四)に示寂していることから、当社と同じころに創建されたものであろう。
明治初年の神仏分離により宝蔵寺の手を離れた当社は、明治三十二年に村社となった。
神仏分離の後、神職は野口儀助・沢田豊・沢田豊行と継いでいる。
なお、隣村の古凍でも鎮守に鷲神社を祀っており、当社の創建と何らかのかかわりがあると考えられる。(「埼玉の神社」より)


今泉鷲神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)