下青鳥天神社。東松山市下青鳥の神社

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下青鳥天神社。東松山市下青鳥の神社

下青鳥天神社の概要

下青鳥天神社は、東松山市下青鳥にある神社です。下青鳥天神社の創建年代等は不詳ながら、かつては都幾川沿いの低地に祀られていたと伝えられます。元文2年(1737)に下青鳥が二郷に分かれたのを機に、自然堤防上の当地へ遷座したといいます。

下青鳥天神社
下青鳥天神社の概要
社号 天神社
祭神 菅原道真公
相殿 -
境内社 三峰、弁天、双体道祖神
祭日 春祭4月第一日曜日
住所 東松山市下青鳥811
備考 -



下青鳥天神社の由緒

下青鳥天神社の創建年代等は不詳ながら、かつては都幾川沿いの低地に祀られていたと伝えられます。元文2年(1737)に下青鳥が二郷に分かれたのを機に、自然堤防上の当地へ遷座したといいます。

新編武蔵風土記稿による下青鳥天神社の由緒

(下青鳥村)
天神社
村の鎮守にて、花蔵院の持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による下青鳥天神社の由緒

天神社<東松山市下青鳥八一一(下青鳥字下郷)>
下青鳥の下郷の地は、都幾川流域の低地と自然堤防に位置する。古くから川の氾濫に脅かされてきた所で、その被害を避けるために氏子集落は自然堤防上にある。
口碑によると、当社は初め都幾川沿いの低地に祀られていたが、水害の多い所であったため、元文二年(一七三七)、下青鳥が上下の二郷に分かれたのを機に自然堤防上の今の地に移されたという。ちなみに、旧社地と伝わる辺りには、天神面・天神裏などの地名が残されている。
『明細帳』では、当社の創建を元文二年四月十日のことと記しているが、別当であった花蔵院跡に残る法印墓石に、寛文九年(一六六九)・元禄七年(一六九四)などの年紀が刻まれることから、口碑に伝えるように元文二年を移転の時期と解するのが妥当と思われる。
『風土記稿』は「天神社 村の鎮守にて、花蔵院の持」と載せ、更に花蔵院については「村内の浄光寺の門徒、薬王山万松寺と号す、本尊薬師を安ぜり」とある。花蔵院は明治初年に無住となり、以後、本尊の薬師如来を安置する堂が残されていたが、平成二年に同地に社務所が建設されたのを機に、薬師如来はその一画に移されている。
本殿には、彩色の施された天満天神座像(全高五二・五センチメートル)が安置されている。(「埼玉の神社」より)


下青鳥天神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)