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大黒部愛宕神社。東松山市大黒部の神社

大黒部愛宕神社の概要

大黒部愛宕神社は、東松山市大黒部にある神社です。大黒部愛宕神社の創建年代等は不詳ながら、大黒部は毛塚村と宮鼻村の入会地として発展してきたことから、毛塚村愛宕山龍圓寺に鎮座していた愛宕社(現在は元宿天神社の末社)を勧請して江戸時代後期に創建したのではないかといいます。明治41年宮鼻八幡神社に合祀されたものの、昭和39年旧地に復祀したといいます。

大黒部愛宕神社
大黒部愛宕神社の概要
社号 愛宕神社
祭神 天照皇大神
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 東松山市大黒部12
備考 -



大黒部愛宕神社の由緒

大黒部愛宕神社の創建年代等は不詳ながら、大黒部は毛塚村と宮鼻村の入会地として発展してきたことから、毛塚村愛宕山龍圓寺に鎮座していた愛宕社(現在は元宿天神社の末社)を勧請して江戸時代後期に創建したのではないかといいます。明治41年宮鼻八幡神社に合祀されたものの、昭和39年旧地に復祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による大黒部愛宕神社の由緒

(宮鼻村)
愛宕社
村持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による大黒部愛宕神社の由緒

愛宕神社<東松山市大黒部一二(宮鼻字大黒部)>
当社は大黒部の鎮守として祀られている。『風土記稿』宮鼻村の項には「大黒部」の小名が載り「隣村毛塚村と入合の地なり」のただし書きがある。一方、毛塚村の項にも「大黒部」の小名が載り「宮鼻村の地と犬牙なり」とある。これらの記述は、大黒部の地が宮鼻・毛塚両村の出作地として開かれたことを物語る。その後、両村から人々が移り住むようになると、一村として意識されるようになり、当社が鎮守として祀られるに至ったのであろう。同書によれば、毛塚村の檀那寺であった真言宗愛宕山竜円寺の境内に愛宕神社が祀られており、恐らくこの社を勧請したものであろう。創建は、『武蔵志』の大黒部の項に「寺社ナシ」とあるが、『風土記稿』には一社として載ることから、享保二年(一八〇二)から文政十一年(一八二八)にかけてのことと推察される。
明治初年の社格制定に際し無格社となった当社は、明治四十一年に宮鼻の本村にある村社八幡神社に合祀となった。これにより社殿は八幡神社に移され、愛宕山と呼ばれる小高い社地は切り崩された。この時、土中から金環が出たと伝えられる。その後、年を経るにつれて旧氏子の中から愛宕神社を再び鎮守として祀ろうとの気運が高まり、ついに昭和三十九年に遷座が行われた。更に同五十二年には社殿の新築がなされ、名実ともに大黒部の鎮守としての再興が果たされた。(「埼玉の神社」より)

境内石碑による大黒部愛宕神社の由緒

記念碑
当地区は古墳時代より開拓され、此の地は愛宕山と称され、愛宕神社を奉斎し、崇敬の誠を捧げて来たるも明治四十二年一月神社振興の国策により宮鼻八幡神社境内に合祀となる。然るに氏子総意により昭和三十九年三月六日旧地大黒部に再び遷座す。其後氏子は益々発展するにより、社殿新築をなし祭儀を厳修し、神社本然の姿にすべしと、本殿、幣殿、拝殿、鳥居を建て、昭和五十二年三月六日御遷宮奉祝大祭を執行す。
茲に当地区の悠久なる繁栄と平和を祈念し此碑を建立す。
氏子一同(境内石碑より)


大黒部愛宕神社の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)