前谷天神社。地元名主家の屋敷神が当地に遷座
前谷天神社の概要
前谷天神社は、行田市前谷にある天神社です。前谷天神社の創建年代や由緒については不詳ですが、地元名主家の屋敷神が当地に遷座したと伝えられます。明治6年村社に列格しました。
社号 | 天神社 |
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祭神 | 菅原道真公 |
相殿 | - |
境内社 | 伊奈利神社・宇賀神社・事任神社・塞神社 |
祭日 | 例祭日8月25日 |
住所 | 行田市前谷1425 |
備考 | 旧村社 |
前谷天神社の由緒
前谷天神社の創建年代や由緒については不詳ですが、地元名主家の屋敷神が当地に遷座したと伝えられます。明治6年村社に列格しました。
埼玉県神社庁「埼玉の神社」による前谷天神社の由緒
当地は、古くは忍城城付村持田組の一村で前谷新田と呼び、寛永年中の開発と伝え、「風土記稿」にも持田村の小名として「土人ここを私には前谷村と唱えり」と載せている。『増補忍城名所図会』には 「三千坊沼。前谷村にあり。古は大沼なりしが今は田圃となる。往古此沼に鐘沈み有りそを成田竜淵寺の和尚加蔵主此鐘を法力を以て取上、寺に持行、其休養し勉を鐘置橋といふ。鐘置橋は皿尾より上の村へ行中程小川に係る橋を云也。しかして竜淵寺に有りしが今は常陸筑波山にありといふ。」と沼にかかわる伝説が残り、新田開発後も水腐の続く湿田地帯で、往古から水損の地であった。
当社の創立は不詳であるが、口碑によると、先祖が名主を務めた細谷家の宅地内に祀っていたが、何らかの理由で当地に移されたという。明治六年村社となった。
神社境内は北側を真言宗光明寺の境内が、南側を農民センターの建つ共有地がそれぞれ隣接して、両者に挟まれるようにして神社参道が延びている。祭神は菅原道真公を祀り、本殿は一問社流造りである。境内社として塞神(石両)とほかに社名不詳の石祠三社が祀られているが、この四社は「明細帳」に記載の伊奈利神社・宇賀神社・事任神社・塞神社であると思われる。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
前谷天神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)