下須戸八坂神社。鎌倉幕府の圧迫を受けた一人の僧が創建
下須戸八坂神社の概要
下須戸八坂神社は、行田市下須戸にある八坂神社です。下須戸八坂神社は、七〇〇年前、鎌倉幕府の圧迫を受けた一人の僧が、牛頭天王の像を奉じて当地に住み着き医王寺を創建、医王寺の鎮守社として当社を創建したと伝えられます。江戸時代には下須戸村の鎮守に、明治時代には村社に列格していました。
社号 | 八坂神社 |
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祭神 | 素盞嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 行田市下須戸2840 |
備考 | 旧下須戸村鎮守 |
下須戸八坂神社の由緒
下須戸八坂神社は、七〇〇年前、鎌倉幕府の圧迫を受けた一人の僧が、牛頭天王の像を奉じて当地に住み着き医王寺を創建、医王寺の鎮守社として当社を創建したと伝えられます。江戸時代には下須戸村の鎮守に、明治時代には村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による下須戸八坂神社の由緒
(下須戸村)牛頭天王社
村の鎮守なり。医王寺持(新編武蔵風土記稿より)
埼玉県神社庁「埼玉の神社」による下須戸八坂神社の由緒
口碑によると、約七〇〇年前、鎌倉幕府の圧迫を受けた一人の僧が、牛頭天王の像を奉じて当地に住み着いたという。これが当社の旧別当真言宗天王院医王寺の開基であり、同寺の寺鎮守として牛頭天王像を祀ったことが当社の創始である。その後、牛頭天王社は村内の崇敬を受け、やがて村鎮守となっていった。
当社は、現在、病虫害を防除する農耕神、素盞嗚尊を主祭神とし、天王様の通称で近郷一円より厚い崇敬を受けている、古くは牛頭天王社と号し、仏教色の濃いものであったが、神仏分離により寺の管理を離れて現社名に改めた。内陣に安置する牛頭天王像が、往時の名残を伝える。
明治期に現社殿を建造し、天神社・御嶽神社二社(註:須戸橋御嶽神社、下須戸御嶽神社)の計三社を合祀したが、三社とも戦後旧地に復した。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
下須戸八坂神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)