天童山桃林寺。忍藩主奥平松平家の祖松平忠明公創建
桃林寺の概要
臨済宗妙心寺派寺院の桃林寺は、天童山桃林寺と号します。開基は奥平松平家の祖松平忠明公。開山は松隠宗嶽禅師。忠明公の兄で十四歳で死去した家治の供養の為に「普く天の童」として山号を天童山とし、寛永年間大和郡山に創建しました。長篠の合戦で有名な鳥居強右衛門一族の菩提寺でもあります。奥平松平家の移封に従い、寺地を移転、文政6年(1823)に奥平松平家と共に、桃林寺も当地へ移転しました。
| 山号 | 天童山 |
|---|---|
| 院号 | - |
| 寺号 | 桃林寺 |
| 本尊 | 聖観世音菩薩坐像 |
| 住所 | 行田市城西3-6-1 |
| 宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
| 葬儀・墓地 | 墓地受付 |
| 備考 | - |
桃林寺の縁起
臨済宗妙心寺派寺院の桃林寺は、天童山桃林寺と号します。開基は奥平松平家の祖松平忠明公。開山は松隠宗嶽禅師。忠明公の兄で十四歳で死去した家治の供養の為に「普く天の童」として山号を天童山とし、寛永年間大和郡山に創建しました。長篠の合戦で有名な鳥居強右衛門一族の菩提寺でもあります。奥平松平家の移封に従い、寺地を移転、文政6年(1823)に奥平松平家と共に、桃林寺も当地へ移転しました。
忍藩松平家に関する寺院
松平家は、忍城を守護するため、桃林寺を含めて菩提寺3ヶ寺及び東照宮等を桑名より移転させています。また江戸では天眼寺を菩提寺としていました。
桃林寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
桃林寺山門