五智山成就院。三重塔、行田救済菩薩十五霊場、行田忍城下七福神
成就院の概要
真言宗智山派寺院の成就院は、五智山と号します。成就院は、天正年間に僘宥阿闍梨が創建したと伝えられます。享保14年(1729)芳宥和尚の代に、三重塔を建立、忍城主阿部豊後守忠秋公の帰依仏といわれる葉衣観音が安置されています。埼玉県には三重塔が三基しかなく、県指定文化財となっています。行田救済菩薩十五霊場13番、行田忍城下七福神の寿老人です。
山号 | 五智山 |
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院号 | 成就院 |
寺号 | - |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 行田市長野7618 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 行田救済菩薩十五霊場13番 |
成就院の縁起
成就院は、天正年間に僘宥阿闍梨が創建したと伝えられます。享保14年(1729)芳宥和尚の代に、三重塔を建立、忍城主阿部豊後守忠秋公の帰依仏といわれる葉衣観音が安置されています。
新編武蔵風土記稿による成就院の縁起
成就院
長久寺末五智山と号す。天正年間僧幑宥が草創する処なり。不動を本尊とす。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による成就院の縁起
成就院は、五智山成就院と称し、本尊は不動明王である。
縁起には、「天正年間に僘宥阿闍梨という人が当地に住んで堂宇の建立に努力し、慶長年間に竣功したと伝えられている」とある。
本寺には、享保14年(1729)芳宥和尚の代に建立したと伝えられる三重塔がある。
総高10メートル、柱間2.14mで、塔内には、忍城主阿部豊後守忠秋公の帰依仏といわれる葉衣観音が安置され、「有川藤原興信筆」の牡丹唐獅子が描かれている。
なお、県内に現存する古い三重塔は、比企郡吉見町の安楽寺・川口市西立野の西福寺と本寺の三基のみであり、いずれも県指定文化財になっている。(境内掲示より)
成就院所蔵の文化財
- 成就院三重塔(県指定建造物)
成就院三重塔
この三重塔は、享保14年(1729)に建立されたもので、昭和56・57年に解体復元工事を実施し、現在に至っています。塔内には、忍城主阿部豊後守忠秋より拝領と伝えられる葉衣観世音菩薩が本尊として安置されています。総高11.18m、間口奥行2.24m、相輪高2.92mです。
地方の大工の手による特色ある塔で、二面四間、初重柱間一間、銅瓦棒葺の構造となっています。各層とも二手先の料栱、吹寄棰一軒、各種箱型の積み上げで、塔の中心柱は二層で止めて下に降ろさず、内陣には須弥檀を設け、格天井を組み、花鳥の図を飾っています。
享保時代の強い観音信仰を背景に建立されたものと思われますが、江戸時代の三重塔は埼玉県内には三基のみで、大変貴重なものと言えます。(埼玉県教育委員会・行田市教育委員会・成就院三重塔保存会)
成就院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿