猫の足あとによる川口市の寺院、神社、観光名所など川口市の寺社案内 猫の足あとによる川口市の寺院、神社、観光名所など川口市の寺社案内
猫の足あとによる埼玉県寺社案内

西福寺。川口市西立野にある真言宗豊山派寺院

西福寺の概要

真言宗豊山派寺院の西福寺は、補陀落山と号します。西福寺の創建年代は不詳ですが、弘仁年間(810-824)に弘法大師が国家鎮護のため創建したと伝えられます。西福寺観音堂の創建は不詳ながら元禄3年(1690)再興したもので百体観音として著名な他、西福寺三重塔は徳川家光の長女千代姫が元禄6年(1693)建立したもので、埼玉県では一番高い木造建造物だといいます。三重塔は埼玉県内には行田市長野の成就院・吉見町安楽寺と当寺の三基しかないといいます。武蔵国三十三ヶ所霊場26番です。

西福寺
西福寺の概要
山号 補陀落山
院号 -
寺号 西福寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 川口市西立野420
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 武蔵国三十三ヶ所霊場26番



西福寺の縁起

西福寺の創建年代は不詳ですが、弘仁年間(810-824)に弘法大師が国家鎮護のため創建したと伝えられます。当寺観音堂は元禄3年(1690)再興、三重塔は徳川家光の長女千代姫が元禄6年(1693)建立したといいます。

新編武蔵風土記稿による西福寺の縁起

(立野村)西福寺
新義真言宗、西新井宿寶蔵寺の門徒なり、補陀落山と號す。本尊弥陀を安ず、開山を傳へず、中興開山鏡胤は宝永七年六月七日寂すといふ。
観音堂。
百體の観音を安ず、中尊は如意輪観音なり、起立の年代は知れず、元禄三年の再興なりと云。
地蔵堂。延命地蔵を置く、此像の胎中に恵心僧都の作なり同像を安ず。
仁王門。
三重塔。塔中に大日弥陀釈迦の三尊を安ず、大猶院殿の御長女千代姫君元禄六年の建立なりと云、此姫君は尾張大納言光友卿の簾中とならせられ、元禄十一年十二月十日逝去したまふ、御法號を(雨冠に畏)仙院殿長誉慈光松月大姉と稱せられし増上寺に納め奉れり、此塔中にも御位牌を安ず、又塔の上に不動を安置せり、
鐘楼。元禄九年三月の銘文ある鐘をかく。
熊野三社。稲荷社。此所も境内なりといへど、寺よりは二町程東の方なり、いかなる故にや、土人谷総稲荷と稱せり。(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県掲示による西福寺の縁起

西福寺は、真言宗豊山派の寺で、弘仁年間(810-824)に弘法大師が国家鎮護のため創建したと伝えられる古刹である。寺内には、三重塔と観音堂がある。
ここの三重塔は、三代将軍家光公の長女千代姫が奉建したもので、高さ約二十三メートルあり、県下では一番高い木造の建造物である。棟札銘文によると、この塔は、元禄六年(1693)三月二十七日に建立完成されたもので、かつては、櫓を組んで塔の頂上まで参詣者に登らせた時もあったが、現在では廃止されている。塔は、鉄製の釘を一本もつかわず細工によって作りあげてあり、構造は方三間で、一層の天井から真上に一本の柱をたて、その柱から二層・三層の屋根に梁を渡しバランスをとって、風にも地震にも耐えるように工夫されている。一層の天井近くにある「蟇股」には、十二支を表わす動物の彫刻が刻まれ、方向を示している。
また、入口正面にある観音堂には、西国、坂東、秩父札所の百の観音像が安置され、この一堂に参詣すれば、百ヵ所の観音霊場を参詣したと同じだけの功徳(御利益)があるとされ、春秋の行楽シーズンには、多くの参詣者で賑うところである。(埼玉県掲示より)

埼玉県掲示による百観音信仰

西福寺観音堂の本尊である如意輪観音の胎内には、西国・坂東・秩父あわせて百ヵ所の札所の観音像が納められており、このお堂に参詣することで、百ヵ所の札所をめぐったと同じ御利益があるとされている。「新編武蔵風土記稿」には、観音堂の再興は元禄3年(1690)と記されている。また堂内には、三重塔と同じく徳川三代将軍家光の娘千代姫から寄進された金箔押しの百体の観音像が安置されている。
毎年8月9日の大護摩の日には、四万六千日分の縁を求めて現在も多くの参詣者が訪れる。一ヵ所で百ヵ所分、一日で四万六千日分の功徳が得られるこの日は、観音信仰が盛んであった江戸当時も賑わったことだろう。明和2年(1765)に行われた三重塔修理の際には、百観音信仰の任期を裏付けるように、一万二千人以上の庶民からの寄進があり、この時の寄進者の名前を記した柿板が今も残されている。(埼玉県掲示より)


西福寺所蔵の文化財

  • 木造如意輪観音坐像及び像内納入物(川口市指定有形文化財)

木造如意輪観音坐像及び像内納入物

当如意輪観音坐像は、西福寺観音堂の本尊で、高さは90㎝、幅は55㎝を測ります。この像を中尊として両脇に99体の観音像が安置されており、百観音と称されています。
「新編武蔵風土記稿」によれば、観音堂は元禄3年(1690)の再興と記されており、この観音坐像も、腹中に納められている曲物製筒入りの99体の小観音像も、ともに同じ時期の作品と考えられます。像内納入仏に本体の如意輪観音坐像を加えると、都合100体となり現在本尊の両脇に並ぶ99体の観音は様式、手法から後の時期の製作によるものと思われ、この点から推して、あるいは当初この本尊と像内の99観音のみで「百観音」と呼んでいたのではないかと考えられます。
また、この如意輪観音坐像は、江戸時代前期の彫刻としては出色の出来映えを示しているほか、像内に納入物を納める遺例としても貴重なものとなっており、彫刻史、仏教史的な観点からも高い価値をもっています。(川口市教育委員会掲示より)


西福寺の周辺図


大きな地図で見る