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双柳稲荷神社。飯能市双柳の神社

双柳稲荷神社の概要

双柳稲荷神社は、飯能市双柳にある神社です。双柳稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、延文年間(1356-1360)に当村天台修験教順坊が勧請したと伝えられ、江戸期には双柳村の鎮守社だったといいます。明治5年村社に列格、明治40年八坂社・金比羅社・山王社・愛宕社・山神社・浅間社を合祀したといいます。

双柳稲荷神社
双柳稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 保食命
相殿 -
境内社 八坂神社、金刀比羅神社、愛宕神社、神明社、仲田神社
祭日 夏祭:7月中旬の土・日曜日
住所 飯能市双柳520
備考 -



双柳稲荷神社の由緒

双柳稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、延文年間(1356-1360)に当村天台修験教順坊が勧請したと伝えられ、江戸期には双柳村の鎮守社だったといいます。明治5年村社に列格、明治40年八坂社・金比羅社・山王社・愛宕社・山神社・浅間社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による双柳稲荷神社の由緒

(雙柳村)
稲荷社
秀常寺持。村の鎮守とす。例祭二月初午日なり。社頭に神木と称する枯樹あり。間一丈三尺ばかり。
山王社
同所にあり。秀常寺持。
愛宕社
同寺持。(新編武蔵風土記稿より)

飯能市史資料編による双柳稲荷神社の由緒

創建年月日は、はっきりしないが、神社誌等によれば、延文年間(1356-1360)に当村天台修験教順坊が勧請したと伝えられている。元和元年(1615)火災にあい、堂宇を再造営したといわれる。
合祀社は、八坂神社、金刀比羅神社、愛宕神社、神明社、仲田神社である。(飯能市史資料編より)

「埼玉の神社」による双柳稲荷神社の由緒

稲荷神社<飯能市双柳五二〇(双柳字下宿)>
当社は飯能市の市街地双柳に鎮座する。社伝によると「弘仁五年、現在の境内地西南に老木の並木があり、その中の日本の古柳の元に白狐が並んで姿を現した。以来当地を双柳と呼ぶようになり、それを聞いた弘法大師が稲荷を勧請し、神像を彫刻しこれを祀った」という。
『風土記稿』によると、双柳は堀米村の小字であったが、双柳の土壌は耕作に適さないため、村内の民家を双柳へ移して周りを耕作地とした。やがて双柳は一村となり、堀米は中山村の小字となった。往時、堀米の鎮守は現在の市内八幡町の八幡神社であったという。
『明細帳』には「当社延文年間当村天台宗僧教順坊の勧請」と載せている。また、『双柳初マリ之事』には「村鎮守稲荷大明神ハ今ノ社地ノ上ノ与兵衛屋敷京順坊屋敷ヲ買ヒトリ社ト成ル、野口氏屋敷ヨリ勧請申スト云フ」とある。野口家は双柳の草分けであり、文久三年の伏見稲荷大社からの勧遷状に野口庄五郎の名が見える。
江戸期は真言宗双柳山秀常寺が別当を務めていたが、明治初めの神仏分離により同寺の管理を離れ、一時双柳神社と称していた。明治五年に村社となり、同四〇年には八坂社・金比羅社・山王社・愛宕社・山神社・浅間社の合祀を行うが、そのまま各社殿は残された。
主祭神は保食大神で、内陣に稲荷神像を安置する。社殿は天和元年に火災に遭ったことを伝えている。(「埼玉の神社」より)


双柳稲荷神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 飯能市史資料編
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)



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