上赤工地蔵堂。瑞光山東演寺跡
上赤工地蔵堂の概要
寺院の上赤工地蔵堂は、飯能市上赤工にある地蔵堂で、旧瑞光山東演寺地です。上赤工地蔵堂は、玉室清公(元徳3年1331年寂)が開山した瑞光山東演寺境内に建立された地蔵堂で、江戸期には地蔵堂領として、江戸幕府より3石の御朱印状を受領していました。明治維新後瑞光山東演寺は廃寺となり、上赤工八坂神社鳥居の脇に地蔵堂のみが護持されています。
旧山号 | 瑞光山 |
---|---|
旧院号 | - |
旧寺号 | 東演寺 |
本尊 | 地蔵菩薩像 |
住所 | 飯能市大字上赤工70 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
上赤工地蔵堂の縁起
上赤工地蔵堂は、玉室清公(元徳3年1331年寂)が開山した瑞光山東演寺境内に建立された地蔵堂で、江戸期には地蔵堂領として、江戸幕府より3石の御朱印状を受領していました。明治維新後瑞光山東演寺は廃寺となり、上赤工八坂神社鳥居の脇に地蔵堂のみが護持されています。
「新編武蔵風土記稿」による上赤工地蔵堂の縁起
(上赤工村)
東演寺
瑞光山と號す、郡内赤澤村金錫寺末、本尊釋迦を安ず、開山玉室清公元徳三年三月朔日寂す、慶安三年地蔵堂領三石の御朱印をたまはれり
地蔵堂(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による上赤工地蔵堂の縁起
八坂神社<飯能市上赤工七〇(上赤工字峰ノ久保)>
なお、当社とのかかわり合いは不明であるが、境内に隣接して明治初期まで臨済宗瑞光山東演寺があり、現在、同寺持ちであった地蔵堂のみが当社参道入口に残っている。社務所わきには、廃寺後すぐに共同墓地が造られ、氏子は神葬祭に改めた。寺の跡地は、現在ゲートボール場として利用されている。(「埼玉の神社」より)
上赤工地蔵堂の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」