陽秀山福徳寺。国重要文化財の阿弥陀堂
福徳寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の福徳寺は、陽秀山と号します。福徳寺は、寶山(寛喜3年1231年寂)が建暦2年(1212)に創建したと伝えられます。徳川家康が関東入国した際には慶安2年(1649)に寺領2石5斗の御朱印状を受領しています。また、当寺阿弥陀堂は鎌倉時代末期の建築と推定され、国重要文化財に指定されています。武蔵野三十三観音霊場30番札所です(御朱印は興徳寺で受付)。
山号 | 陽秀山 |
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院号 | - |
寺号 | 福徳寺 |
本尊 | 釈迦如来像 |
住所 | 飯能市大字虎秀71 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
福徳寺の縁起
福徳寺は、寶山(寛喜3年1231年寂)が建暦2年(1212)に創建したと伝えられます。徳川家康が関東入国した際には慶安2年(1649)に寺領2石5斗の御朱印状を受領しています。
新編武蔵風土記稿による福徳寺の縁起
(高麗郡虎秀村)
福徳寺
陽秀山と號す、臨済宗、上井上村興徳寺の末なり、慶安二年彌陀堂領二石五斗の御朱印を賜ふ、本尊釋迦を安ず、開山寶山建暦二年に草創せしと云、入寂は寛喜三年二月二十五日なりといへり、(新編武蔵風土記稿より)
飯能市史資料編による福徳寺の縁起
縁起・沿革に関する記載なし(飯能市史資料編より)
福徳寺所蔵の文化財
- 福徳寺阿弥陀堂付厨子一基(国指定重要文化財)
- 鉄造阿弥陀三尊(埼玉県指定文化財)
福徳寺阿弥陀堂付厨子一基
この阿弥陀堂は、間口、奥行共に三間四面板壁造の回縁つきで、前面は精巧な「蔀戸」となっている。屋根はかつて茅葺きであったが、昭和三十年度の復原修理により、小屋根を旧に復して勾配の美しい宝形造に改め、頂きに露盤・宝珠をのせる銅板葺とした。内部は二本の来迎柱の前に禅宗様須弥壇を据える。
阿弥陀堂の創建年代は詳らかではないが、様式手法により鎌倉時代末期とされ、藤原期の流れを踏襲した、関東地方でも数少ない和様建築である。
一方内陣の須弥壇と来迎壁廻りは室町時代に属するものとされる。厨子は檜の白木造で、簡素で省略も目立つが、木鼻の特徴や欄間のすかしなどから、桃山時代前後と考えられている。厨子には県指定文化財の鉄造阿弥陀三尊立像が安置されている。(飯能市教育委員会・福徳寺掲示より)
福徳寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」