浄心寺。武蔵野七福神、武蔵野三十三観音霊場
浄心寺の概要
曹洞宗寺院の浄心寺は、寂光山長寿院と号します。能仁寺5世吉州伊豚(元和2年9月26日歿)が創建、毘沙門堂は天明3年(1782)に六世良賢、薬師堂は僧泰巌の代に建立したと伝えられます。本寺の十一面観世音菩薩は武蔵野三十三観音霊場23番、高麗郡三十三ヶ所霊場の9番、また、奥多摩新四国霊場八十八ヶ所10番、武蔵野七福神の毘沙門天です。
山号 | 寂光山 |
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院号 | 長寿院 |
寺号 | 浄心寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 飯能市矢颪222 |
宗派 | 曹洞宗 |
祭日 | 毘沙門天大祭1月7日 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 高麗三十三ヶ所霊場9番、武蔵野三十三観音霊場23番、武蔵野七福神の毘沙門天 |
浄心寺の縁起
浄心寺は、能仁寺5世吉州伊豚(元和2年9月26日歿)が創建しました。毘沙門堂は天明3年(1782)に六世良賢、薬師堂は僧泰巌の代に建立したと伝えられます。
新編武蔵風土記稿による浄心寺の縁起
浄心寺
寂光山と号す。禅宗曹洞宗、郡中飯能村能仁寺末なり。本尊弥陀を安ず。開山は能仁寺5世吉州伊豚、元和2年9月26日示寂せり。(新編武蔵風土記稿より)
埼玉県掲示による浄心寺の縁起
寂光山浄心寺は曹洞宗の寺で、能仁寺5世吉州伊豚(元和2年9月26日歿)が開いたといわれている。
当山安置の「毘沙門天」は、伝えによると六世梁観禅棟が駒込吉祥寺に遊学中、学業成就を毘沙門天に祈願し、その功徳によって学頭(首席)となって出世したので、報恩のため、寺に帰ってから堂を建立して祀ったといわれている。
以来、遠近の信者をあつめ、夜中に堂宇にこもって祈願したことから、毘沙門さまの夜祭りとして盛んになった。江戸中期より武蔵野七福神の一つとなってから、商売繁昌、福徳円満の福の神といわれるようになって、夜祭りには、福だるま、福くまでの市が名物となっている。
毘沙門天像は、木彫で、高さ2尺8寸、室町期の作風の特徴を多分に持つ傑作であるといわれている。(埼玉県掲示より)
浄心寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」