観音寺。足立坂東観音霊場
観音寺の概要
真言宗智山派寺院の観音寺は、大悲山と号します。観音寺の創建年代等は不詳ながら、文政年間(1818-1830)に僧慶観が中興したといいます。明治維新後は当地に小針小学校が開校していました。足立坂東観音霊場6番です。
山号 | 大悲山 |
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院号 | - |
寺号 | 観音寺 |
本尊 | 聖観音菩薩像 |
住所 | 伊奈町大針1095 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
観音寺の縁起
観音寺の創建年代等は不詳ながら、文政年間(1818-1830)に僧慶観が中興したといいます。明治維新後は当地に小針小学校が開校していました。足立坂東観音霊場6番です。
新編武蔵風土記稿による観音寺の縁起
(大針村)
観音寺
眞言宗、上尾村遍照院門徒、大悲山と號す、本尊正観音を安、
天神社
彌陀堂(新編武蔵風土記稿より)
「伊奈町史」による観音寺の縁起
観音寺は、大悲山観音寺と号する新義真言宗智山派の寺で、本尊は聖観音菩薩である。『郡村誌』には、文政年間(一八一八~三〇)に慶観が中興したとある。大針からの古くからの家が総て檀家になっている。『風土記稿』によると、上尾村遍照院門徒とされるが、現在は無住で、上尾市柏座の日乗院住職が兼務している。施餓鬼は八月一五日に行われる。
境内には、馬頭観音と釋迦堂がある。馬頭観音は、元々細田山にあったものを観音寺に移したものという。三月一日が縁日で、馬を飼っている人が馬に飾り付けをしてお参りした。この日のことを馬寄せとか観音様の日という。加納や上、菅谷、サトの方(南埼玉郡)から馬は来ていた。釋迦堂では、四月八日がお釈迦様で、以前はお釈迦様の小さな像に甘茶を掛ける行事があった。(「伊奈町史」より)
観音寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「伊奈町史」(伊奈町教育委員会)