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竹間神社。三芳町竹間沢の神社

竹間神社の概要

竹間神社は、三芳町竹間沢にある神社です。竹間神社は、池上喜平(後の竹間沢村名主家)が、元禄2年(1694)に草分けとして入植した際、元禄7年に池上本門寺日照を招いて三十番神を勧請、泉蔵院境内に創建したと伝えられます。明治維新の神仏分離令に際して、三十番神が法華経の守護神であることから、三十番神のなかの八意思兼命を祭神として、竹間神社と改称しています。

竹間神社
竹間神社の概要
社号 竹間神社
祭神 八意思兼命
相殿 -
境内社 八雲神社、根本・榛名・金比羅・天神・大山祇社
祭日 祈年祭2月11日、八雲神社祭礼7月20日頃、秋祭り10月8日
住所 入間郡三芳町竹間沢858
備考 旧村社



竹間神社の由緒

竹間神社は、池上喜平(後の竹間沢村名主家)が、元禄2年(1694)に草分けとして入植した際、元禄7年に池上本門寺日照を招いて三十番神を勧請、泉蔵院境内に創建したと伝えられます。明治維新の神仏分離令に際して、三十番神が法華経の守護神であることから、三十番神のなかの八意思兼命を祭神として、竹間神社と改称しています。

新編武蔵風土記稿による竹間神社の由緒

(竹間澤村)
泉蔵院
新義眞言宗、新座郡大和田村普光明寺末、青龍山と號す、本尊は不動なり、
三十番神社。村内の鎮守とす、
天神社
天王社
稲荷社
金比羅社(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による竹間神社の由緒

この神社は、新編武蔵風土記稿に「三十番神社」と記されている。三十番神の名称から仏教(日蓮宗)と関連があるとする説もある。明治元年(一八六八)の神仏分離令以降、祭神を八意思兼命とし、名称も竹間神社に改められた。末社に八雲神社が祀られ、境内には金比羅大権現・根本山神社・榛名満行大権現・天満宮の石祠、庚申塔、大山石尊(不動明王像)、力石などがある。祭礼は四月二六日・七月二十日(八雲神社)・十月八日である。(境内掲示より)

「埼玉の神社」による竹間神社の由緒

竹間神社<三芳町竹間沢八五八(竹間沢字南側)>
当地は武蔵野台地の東北端にある。地名は地内の中央に竹林があり清水が湧き出して沢となっているところから名付けられたという。
当社の創建は、社記に「創立年紀詳ナラス旧来三十番神ト称セシガ御一新ニ至リ取調候処右ノ神(八意思兼命)ナルヲ以テ当今ノ社号ニ改正ス」とあり、口碑に「幕末まで名主を勤めた池上家の祖、喜平が元禄二年に草分けとして入植した際、鎮守を祀るために池上本門寺日照を招いて、三十番神を勧請した」という。これを「元禄七年戌の年」とも伝えている。また、明治の神仏分離の際は「世話人池上弥平次と池上弥次右衛門が山伏東乗院鈴木文昌と計って神名は八意思兼命がよかろうと考え出し、社名も地名に因んで役人に提出して許可された」という。
『風土記稿』に「三十番神社 村内の鎮守とす」とある。明治五年に村社となり、同四二年には藤久保の稲荷神社へ合祀の話があったが、重立ちの池上仁三郎が手腕家で、当社の方に合祀すべきだとし、藤久保も譲らなかったので合祀は中止になったという。
本殿は、明治五年より三年を費やして再建される。これは彫刻にも念を入れ、秩父のマサという名人を呼んだといい、明治七年の棟札を残していた。しかし、残念な事に昭和五二年原因不明の出火によりこの本殿は全焼してしまい、現在の本殿は昭和五五年の再建である。(「埼玉の神社」より)


竹間神社の周辺図