玉蔵院。春日部刑部三郎貞季を弔うために創建
玉蔵院の概要
真言宗智山派寺院の玉蔵院は、八幡山と号します。玉蔵院は、延元元年(1336)春日部左近蔵人家縄は春日部刑部三郎貞季を弔うため、館の東側川戸寺地に僧俊栄に依頼して創建したといいます。江戸期には春日部八幡神社の別当寺を勤めていました。
山号 | 八幡山 |
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院号 | 玉蔵院 |
寺号 | - |
住所 | 春日部市粕壁3-1-12 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 千手観音 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
玉蔵院の縁起
玉蔵院は、延元元年(1336)春日部左近蔵人家縄は春日部刑部三郎貞季を弔うため、館の東側川戸寺地に僧俊栄に依頼して創建したといいます。江戸期には春日部八幡神社の別当寺を勤めていました。
境内掲示による玉蔵院の縁起
承久の乱(1221)のころ、武蔵から信濃に移り住んでいた春日部刑部三郎貞季は北条泰時の京都攻めに途中から加わり功を上げたが、宇治橋の戦いで討ち死にした。延元元年(1336)春日部左近蔵人家縄はこの霊を弔うため、館の東側川戸寺地に僧俊栄に依頼して建立。
また、浜川戸の八幡神社は春日部氏の鎮守社であったことから、当時の当院住職は八幡神社の別当職を代々勤めていた。
その後幾たびかの火災に遭い最勝院境内に仮本堂であったものを中祖伝栄が旭町の地に再建した。
慶長12年(1607)には僧尊雅が入寺し、以後最勝院の末として興隆した。(境内掲示より)
新編武蔵風土記稿による玉蔵院の縁起
(埼玉郡粕壁宿)八幡社別当 玉蔵院・普門院
玉蔵院は慶長十二年尊雅といへる僧の起立すると云、本尊阿彌陀、普門院は同年永智といへる僧の起立と云、本尊阿彌陀、此兩院は共に新義眞言宗にて、最勝院門徒なり、(境内掲示より)
玉蔵院の周辺図