北田島厳島神社。川越市北田島の神社
北田島厳島神社の概要
北田島厳島神社は、川越市北田島にある厳島神社です。北田島厳島神社の創建年代等は不詳ながら、隣接する圓満寺が別当を勤めていました。明治維新後の神仏分離により圓満寺から独立し厳島神社と改称、大正3年に北田島天神社・北田島神明社・北田島稲荷社を合祀しています。
社号 | 厳島神社 |
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祭神 | 市杵島姫命 |
相殿 | - |
境内社 | (飛地)北田島天神社、北田島神明社、北田島稲荷社 |
祭日 | 弁天講4月初巳日、天王様7月14日、川越氷川神社祭10月14日 |
住所 | 川越市北田島327 |
備考 | - |
北田島厳島神社の由緒
北田島厳島神社の創建年代等は不詳ながら、隣接する圓満寺が別当を勤めていました。明治維新後の神仏分離により圓満寺から独立し厳島神社と改称、大正3年に北田島天神社・北田島神明社・北田島稲荷社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による北田島厳島神社の由緒
(北田島村)
辨天社
圓満寺の持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による北田島厳島神社の由緒
厳島神社<川越市北田島三二七(北田島字向田町)>
川越の市街から東へ約一キロメートルの地、北田島のほぼ中央に鎮座する当社は、古くは弁天社と称し、『風土記稿』によれば、隣接する円満寺が別当であった。明治維新後、厳島神社と改称したが、氏子は今日でも弁天様と呼んでいる。祭神は市杵島姫命で、氏子は女の神様であると伝えている。
当社の創始に関する資料はない。昭和四六年に現在の社殿に建て替える以前は、松の古木が茂り神さびた雰囲気であったという。『明細帳』にも「境内ニ目通リ六尺回ノ樫木アリ衆人ノ見ル処ニテハ百五十年位ノモノ」と記されていて昔の境内の様子がうかがわれる。
拝殿に「奉献大山石尊大権現両天狗御寶前」と彫る寛政一二年の二メートル余りの木太刀や、天保八年伊勢太々神楽修行(社殿修復記念)の額、また境内に弘化二年の手水鉢が存し、更に本殿及び内陣に安置する弁財天十六童子像にはすこぶる古色が見られ、当社の古さを物語る。
大正三年に北田島内の天神社(菅原道真公)・神明社(天照大神)・稲荷社(豊受姫命)を合祀したが、徹底して行われなかったために各社は現存する。なお、各社境内(天神社三八坪・神明社一一坪・稲荷社八〇坪)は当社の飛び地境内として登録されている。(「埼玉の神社」より)
北田島厳島神社の周辺図