正直日枝神社。深谷将監正直が創建
正直日枝神社の概要
正直日枝神社は、比企郡川島町正直にある神社です。正直日枝神社は、領主太田持資の家臣、深谷将監正直が、寛正15年(1460)に近江国坂本村鎮座の山主権現社を勧請、小規模ながら壮麗な遮炎を有していたことから、箭弓稲荷神社の本殿造営を請け負った名工達も当社に日参して模倣したと伝えています。
社号 | 日枝神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | 浅間社 |
祭日 | 春祭り4月5日、例祭9月5日、新嘗祭12月13日 |
住所 | 比企郡川島町正直1 |
備考 | - |
正直日枝神社の由緒
正直日枝神社は、領主太田持資の家臣、深谷将監正直が、寛正15年(1460)に近江国坂本村鎮座の山主権現社を勧請、小規模ながら壮麗な遮炎を有していたことから、箭弓稲荷神社の本殿造営を請け負った名工達も当社に日参して模倣したと伝えています。
新編武蔵風土記稿による正直日枝神社の由緒
(正直村)
氷川社
村の鎮守なり、
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山王社
以上二社は普門寺持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による正直日枝神社の由緒
日枝神社<川島町正直一(正直字三王町)>
当社は、都幾川の水を長楽樋管から引く八ツ保用水の北側に鎮座している。境内地は、東西に細長く、杉並木が美しい。
創建は、口碑に、当地一帯を領した太田持資の家臣、深谷将監正直が、寛正一五年(一四六〇)に近江国坂本村鎮座の山主権現社を勧請したことに始まる。
造営史料については明らかにできないが、口碑に、江戸初期まで小規模ながら壮麗な権現造りの社殿があったという。このため、現在、東松山に鎮座する箭弓稲荷神社の本殿造営にかかわった名工たちは、当社に日参してそれを模したと伝える。
武蔵国一の宮氷川神社社家の『東角井家日記』の文政九年(一八二六)二月二十七日の条には、「川嶋領正直村山王社ニ太々神楽有之、岩井氏隠居罷越、先キ箱鐘持以下等同勢三四拾人ニて罷越衣冠ニて神事勤之侯由」とある。氷川神社神主岩井氏が供を連れ、当社で神事並びに神楽を奉奏している。正直でも氷川講を結成していたのであろう。
『風土記稿』によると、別当は地内の天台宗、直雄山医王院普門寺が務めた。ちなみに普門寺は、眼病治癒の利益のある薬師を本尊としている。本寺は、下青鳥村(東松山)の浄光寺である。(「埼玉の神社」より)
正直日枝神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)