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古郡北向神社。児玉郡美里町古郡の神社

古郡北向神社の概要

古郡北向神社は、児玉郡美里町古郡にある北向神社で、延暦15年(796)7月に坂上田村麻呂が創建したと伝えられる五社(沼上北向神社・阿郡志河輪神社・北十条北向神社・小茂田北向神社・古郡北向神社)のうちの一社と比定されています。江戸時代には古郡村の鎮守社となっていました。明治40年に宇森浦神明神社、字下耕地二柱神社、字六所六所神社を本殿に合祀、字森浦の愛宕・諏訪・雷電の三社を境内に遷座したといいます。

北向神社
北向神社の概要
社号 北向神社
祭神 大巳貴命、素盞嗚命、少彦名命
相殿 -
境内社 天神宮、御霊社、琴平社、秋葉社、八坂大神、弁天社、八幡大神、雷電、お手長様、天照太神、大己貴命、少彦名命、埴安媛命・倉稲魂命
祭日 祇園祭7月25日
住所 児玉郡美里町古郡257
備考 旧古郡村の鎮守



古郡北向神社の由緒

向神社の創建年代は不詳ですが、延暦15年(796)7月に坂上田村麻呂が創建したと伝えられ、江戸時代には古郡村の鎮守社となっていました。明治40年に宇森浦神明神社、字下耕地二柱神社、字六所六所神社を本殿に合祀、字森浦の愛宕・諏訪・雷電の三社を境内に遷座したといいます。

美里町史による古郡北向神社の由緒

(古郡村)北向明神社
村の鎮守とす。光明寺持(美里町史より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による古郡北向神社の由緒

当社の鎮座する大字古郡は、その地名が表すように、古代の那賀郡の郡役所としての郡家が置かれたことに由来するという。また、武蔵七党の猪俣党の一族、古郡氏の本拠地でもあった。
当社は社号が示すように真北を向いて鎮座しており、この向きは霊峰赤城山の最高峰黒檜山(1828m)を見据える形になっている。
創建を明確にする記録は伝えられていないが、当地黄檗宗日光山安光寺に残る寛延元年(1748)の鐘銘及び宝暦元年(1751)の「武蔵国那珂郡古郡村日光山安光寺記」には次のように記されている。
坂上田村麻呂が征夷大将軍として蝦夷征討へ赴く途次、上野国緑野郡勅使河原に陣を設けた折、身馴川の十丈の淵に棲む神竜(大蛇)が川を渡る者を水死させることから、人々が往来に困っていることを聞き、日光山(同寺の裏山か)より赤城大明神に誓願をなし、大蛇を退治できた。よって、誓願の通り川上に江の浜の虚空蔵、川下に薬師四仏、北向大明神五社(古郡・阿那志・小茂田・沼上・北十条)を建立し、大蛇の尻尾を埋めた跡に同寺を建立した。なお、同寺は永禄年中(1558-70)に焼失したため、当社の別当は真言宗光明寺が務めていた。現在の安光寺は元文年中(1736-41)の再興である。
明治40年に宇森浦神明神社、字下耕地二柱神社、字六所六所神社を本殿に合祀、字森浦の愛宕・諏訪・雷電の三社を境内に移転した。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


古郡北向神社の周辺図


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