東大沢神社。坂上田村麻呂が雷電社として創建
東大沢神社の概要
東大沢神社は、美里町猪俣にある神社です。東大沢神社の創建年代は不詳ですが、征夷大将軍坂上田村麻呂がこの地に至った時、激しい雷に遭遇し、これを鎮めるために雷電三社(東大沢神社・中里雷電神社・甘粕神社)を祀ったことに始まると伝えられます。明治5年村社に列格、明治43年、字明神裏の村社春日神社と字海道南の村社三島神社の二社を当社に合祀、社号を東大澤神社と改称したといいます。合祀した村礼の境内社並びに村内の無格社の合計16社は境内遷座、関連する社ごとに合祀を行い、それぞれ神明社・諏訪神社・山神社・稲荷神社・八王子神社として、境内に祀られています。
社号 | 東大沢神社 |
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祭神 | 大雷命 |
相殿 | - |
境内社 | 琴平神社、八坂神社、蚕影山神社、諏訪神社、天神社、天照皇大神、稲荷神社、愛宕神社、八王子神社 |
祭日 | 例祭日10月15日 |
住所 | 児玉郡美里町猪俣90 |
備考 | 旧村社 |
東大沢神社の由緒
東大沢神社の創建年代は不詳ですが、雷電社と称し、本山派修験道の五大院が別当を務めていたといい、五大院が法印仙翁(明応2年1493年)により創建していることから、雷電社もその頃に創建したものと推定できます。明治5年村社に列格、明治43年、字明神裏の村社春日神社と字海道南の村社三島神社の二社を当社に合祀、社号を東大澤神社と改称したといいます。合祀した村礼の境内社並びに村内の無格社の合計16社は境内遷座、関連する社ごとに合祀を行い、それぞれ神明社・諏訪神社・山神社・稲荷神社・八王子神社として、境内に祀られています。
新編武蔵風土記稿による東大沢神社の由緒
猪俣村
雷電社三宇。
一は高台院持、一は歓蔵院持、一は五大院(注:廃寺)司れり。(新編武蔵風土記稿より)
埼玉県神社庁「埼玉の神社」による東大沢神社の由緒
当地の西南西にそびえる樽見山は古代・中世の那珂郡と秩父郡との境をなす山で、東西に走る尾根の北側に広がる丘陵地帯が那珂郡で、中世は武蔵七党猪俣党の拠点となっていた。中でもその本貫地となっていたのが当地で、南部の境山頂上には、かつての猪俣城があった。また、地内を鎌倉街道上道が通り、当社の鎮座する字野中は、街道沿いに発達した集落で、当社望別を通る道が鎌倉街道といわれている。当社創建についての記録や伝えは失われているが、江戸期は「雷電社」と称し、本山派修験の五大院が別当を務めていた。この五大院は、明治初年の神仏分離に伴い、還俗して東野姓を名乗り、以来神職となった。同家の位碑によると、同院の開山は「法印仙翁」で、明応2年(1493)に入寂していることから、同院開山もこれ以前であり、当社もこのころには既に祀られていたものと思われる。ちなみに、五大院は幕末まで15世を数えた。
明治5年、当社は村社に列せられ、同43年3月28日、字明神裏の村社春日神社と字海道南の村社三島神社の二社を当社に合祀し、社号を東大澤神社と改称した。また同時に、合祀した村礼の境内社並びに村内の無格社の合計16社を境内に移転し、関連する社ごとに合祀を行い、それぞれ神明社・諏訪神社・山神社・稲荷神社・八王子神社として、当社の境内社として祀られた。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
東大沢神社の周辺図