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中里雷電神社。児玉郡美里町中里の神社、旧村社

中里雷電神社の概要

中里雷電神社は、児玉郡美里町中里にある雷電神社です。雷電神社の創建年代は不詳ですが、征夷大将軍坂上田村麻呂がこの地に至った時、激しい雷に遭遇し、これを鎮めるために雷電三社(東大沢神社・中里雷電神社・甘粕神社)を祀ったことに始まると伝えられます。明治初年に中里村の村社に列格、明治41年に旧中里村にあった諸社を当社の境内に遷座しています。

雷電神社
雷電神社の概要
社号 雷電神社
祭神 大雷神
相殿 -
境内社 神明社、白山社、菅原道真公、八幡社、愛宕社、稲荷社、諏訪社、蚕影者、古峰社、琴平社、八意思兼神・手置帆負命・彦狭知命、道祖神
祭日 例祭日10月15日
住所 児玉郡美里町中里8
備考 旧村社



中里雷電神社の由緒

雷電神社の創建年代は不詳ですが、征夷大将軍坂上田村麻呂がこの地に至った時、激しい雷に遭遇し、これを鎮めるために雷電三社を祀ったことに始まると伝えられます。明治初年に中里村の村社に列格、明治41年に旧中里村にあった諸社を当社の境内に遷座しています。

美里町史による中里雷電神社の由緒

(中里村)雷電社
満正寺持。(美里町史より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による中里雷電神社の由緒

中里は、松久丘陵の北部に位置する丘陵上の村で、南の白石との境を中世の鎌倉街道上道が通る。天正19年(1591)の「武州之内御縄打取帳」(松村家文書)には「甘粕 中里共」と記され、元は甘粕村と共に一村であったことを示している。
当社は、征夷大将軍坂上田村麻呂がこの地に至った時、激しい雷に遭遇し、これを鎮めるために雷電三社を祀ったことに始まると伝えられる。ここでいう雷電三社とは、猪俣の東大沢神社(旧雷電社)・雷電神社(当社)・甘粕の甘粕神社(旧雷電社)の三社のことで、この三つの神社は国道254号の天神橋を中心とした三角形を形作る。春日造りの本殿は地元の大工である岡田伊右衛門が建てたもので、この伊右衛門が寛政7年(1795)に児玉町秋山の十二天社を造った時の「建立覚書」に当社の本殿と同じ造りにする旨が記されていることから、当社は寛政7年以前に建てられたものであることがわかる。
また、「風土記稿」中里村の項では「愛宕社 村の鎮守なり、満正寺持、下同じ、諏訪社。雷電社、天神社、村民持、下同じ、稲荷社」とあるように、江戸期には愛宕社が村の鎮守であったが、明治初年の社格制定に際しては当社が中里村の村社とされた。更に、愛宕社も含め、当社以外の神社はいずれも小規模であったため、明治41年に政府の合祀政策に従ってこれらの諸社の大半は当社の境内に移された。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


中里雷電神社の周辺図


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