前砂観音堂。旧氷川山寶蔵寺
前砂観音堂の概要
寺院の前砂観音堂は、氷川山寶蔵寺と号していた寺院です。前砂観音堂の創建年代等は不詳ながら、氷川山寶蔵寺と号す寺院として創建、前砂氷川社の別当を務めていました。明治維新後廃寺となり、明治5年には前砂学校が開校、明治19年には10ヶ村連合の賛化学校が当地で開校しています。現在はその跡地に観音堂が建立され、地内で祀っていた如意輪観音を本尊として奉安、龍昌寺が管理しています。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
本尊 | 如意輪観音像 |
住所 | 鴻巣市前砂 |
宗派 | |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
前砂観音堂の縁起
前砂観音堂の創建年代等は不詳ながら、氷川山寶蔵寺と号す寺院として創建、前砂氷川社の別当を務めていました。明治維新後廃寺となり、明治5年には前砂学校が開校、明治19年には10ヶ村連合の賛化学校が当地で開校しています。現在はその跡地に観音堂が建立され、地内で祀っていた如意輪観音を本尊として奉安、龍昌寺が管理しています。
新編武蔵風土記稿による前砂観音堂の縁起
(前砂村)
寶蔵寺
氷川山と號す、新義眞言宗、箕田村龍珠院末、本尊大日を安ず、(新編武蔵風土記稿より)
「吹上町史」による前砂観音堂の縁起
宝蔵寺(現観音堂・吹上町前砂六四七)
宝蔵寺は、新義真言宗、箕田村竜珠院の宋で氷川山と号した。開基・開山等不詳であるが延宝五年(一六七七)の検地改帳には存在が確認されている。明治六年(一八七三)廃寺申付られ(江原)、現在は跡地に観音堂が建てられ、管理は竜昌寺が担当している。宝蔵寺本尊は大日如来と記録されている。明治五年八月にはここに前砂・明用を学区とする前砂学校が設立され、また、明治十九年三八八六)吹上村はじめ一〇か村連合の賛化学校が華々しく開校(教育の項参照)された所でもある。
堂内には、木造、寄木造の如意輪観音、馬頭観音とともに薬師如来像も安置されている。(「吹上町史」より)
「埼玉の神社」による前砂観音堂の縁起
氷川社<吹上町前砂六五六(前砂字宮脇)>
観音堂の祭りは、春秋の彼岸の中日の前夜に「団子祭り」と称して行われている。当番があらかじめ前砂の毎戸から五合ずつ集めた米で当日団子をこしらえ、観音堂にお供えする。土日はどの家でも農耕用に馬を飼っていて、この日に馬を引いて観音堂にお参りしたものであった。供えてあるこの団子を馬に食べさせると丈夫になるといわれていた。現在では、子供の無病息災を願い団子をもらいに来る人が多い。この観音堂の始まりは、その昔の大水の際に当地に流れ着いた観音堂を小暮榛之丞家の先祖が拾って屋敷の東に祀ったことにより、その後は元名主の江原家を始めとする江原一家(一族)の七軒で祀っていたが、維持管理が大変であったので、昭和三十年ころの耕地整理を機に地内の竜昌寺に管理を委ねるようになったという。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
前砂観音堂の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「吹上町史」
- 「埼玉の神社」