龍昌寺。鴻巣市前砂にある曹洞宗寺院

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龍昌寺。前砂学校開校地

龍昌寺の概要

曹洞宗寺院の龍昌寺は、随流山と号します。龍昌寺の創建年代等は不詳ながら、慶長12年(1607)の前砂村御検地水帳に「前砂村龍正寺」と記載され、関東郡代伊奈備前守忠次(勝林院殿秀誉源長大禅定門)を開基とし、了山貫達和尚(慶安2年1649年寂)が開山したといいます。境内の板石塔婆は前砂地内に祀られていたものを当地に集めて安置したもので、鴻巣市文化財に指定されています。

龍昌寺
龍昌寺の概要
山号 随流山
院号 -
寺号 龍昌寺
本尊 釈迦如来像
住所 鴻巣市前砂1355
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



龍昌寺の縁起

龍昌寺の創建年代等は不詳ながら、慶長12年(1607)の前砂村御検地水帳に「前砂村龍正寺」と記載され、関東郡代伊奈備前守忠次(勝林院殿秀誉源長大禅定門)を開基とし、了山貫達和尚(慶安2年1649年寂)が開山したといいます。了山貫達和尚は、小谷寶勝寺大芦龍光寺も開山しています。

新編武蔵風土記稿による龍昌寺の縁起

(前砂村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)

「吹上町史」による龍昌寺の縁起

竜昌寺
竜昌寺は、箕田村(現鴻巣市)宝持寺の末派で、禅宗曹洞派に属し、随流山と号している。
竜昌寺に残る「寺籍財産明細帳」によると、寛永二年(一六二五)開創、開基不詳、開山は了山貫達和尚となっている。貫達和尚は小谷村曹洞宗宝勝寺の開山ともなっており、入寂は慶安二年(一六四九) (宝勝寺は慶安元年)十二月二十八日と過古帳に記されている。開基不詳とあるが過古帳には「勝林院殿秀誉源長大禅定門、慶長十五年六月十三日当寺開基檀那伊奈備前守」と冒頭に記してあり、初代関東郡代伊奈備前守忠次が開基檀那となっている。忠次は、徳川家康に仕え、小田原城攻略にも大功あり家康の江戸入城後、武蔵園小室(現伊奈町)鴻巣など一万石を与えられ、初代関東郡代に任ぜられ、関八州の直轄地を支配し、治水、開墾、検地などに手腕をふるい徳川氏の支配を強固なものとした人で、慶長十五年(一六一〇)江戸で病死し、その領地である鴻巣の勝願寺に葬られている。竜昌寺開基が伊奈備前守であるというゆかりは詳かでない。慶長十二年(一六〇七)前砂村御検地水帳に「前砂村龍正寺、やしき西、下畑三反歩、此内壱反歩付荒、中国三畝六歩」の記録があり、当時既に竜昌寺が実在したことが明らかである。
本尊は、阿跡陀如来坐像で、木造、寄木造、漆箔、玉眼、通肩、定印、像高二九センチ、江戸後期作であるが、昭和四十五年本堂改築にあたり、塗替えられ、本堂須弥壇中央に安置され金色燦然と輝いている。
境内には、昭和初年元荒川改修の際、現三洋自動販売機北方の小谷橋付近から出土した板石塔婆六五基が、一か所に整備保帯されている。さらに今回前砂で発見された十数枚の青石塔婆もここに保存されるととになった。この塔婆群は吹上町の指定文化財となっている。山門をくぐった左手には、造立年代は不詳であるが六地蔵尊があり板石塔婆群横には、地蔵尊、宝塔があり、本堂横手墓地には江原家の寛永、慶安、明磨、寛文など江戸初期の立派な宝篋印塔が立ち並んで偉容を見せている。(「吹上町史」より)


龍昌寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「吹上町史」