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若宮八幡神社。新座市野火止の神社、旧村社

若宮八幡神社の概要

若宮八幡神社は、新座市野火止にある八幡神社です。若宮八幡神社は、明暦2年(1656)より開発が始められた菅沢の鎮守として、池上本門寺の鎮守とされた八幡神社の分霊を奉斎して創建したといいます。明治初年村社に列格しました。

若宮八幡神社
若宮八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別尊
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 新座市野火止3-13-8
備考 -



若宮八幡神社の由緒

若宮八幡神社は、明暦2年(1656)より開発が始められた菅沢の鎮守として、池上本門寺の鎮守とされた八幡神社の分霊を奉斎して創建したといいます。明治初年村社に列格しました。

新編武蔵風土記稿による若宮八幡神社の由緒

(菅澤村)若宮八幡社
年貢地、小名下ノ分にあり、村の鎮守なり、社は南の方に向ひ、本社九尺四面、拝殿は間口三間、奥行二間、前に鳥居を建、兩社の間一間餘、村持なり(新編武蔵風土記稿より)

新座市教育委員会新座市文化財保護審議委員会掲示による若宮八幡神社の由緒

江戸時代に、幕府が編纂した地誌書「新編武蔵風土記稿」には、
菅沢村 若宮八幡社
(中略)村の鎮守なり。社は南の方に向い、本社九尺四面。拝殿は間口奥行二間、前に鳥居を建。両社の間一間余、村持なり。
と記されています。
祭神は、誉田別之命を祀っており、菅沢新田開発のもとに移住した菅沢村の人々の心の拠り所として、親しまれてきました。
寛政三年(一七九一)の紀年銘が刻まれた奉納石(力石)をはじめ、明治六年(一八七三)、断髪令の際、髷を記念に残した奉納額など、文化や世相の推移がうかがわれる文化財が、残っています。
又、境内には、新座で最初の水道(一九四九)の布設を記念した碑文などもまつられています。(新座市教育委員会新座市文化財保護審議委員会掲示より)

「埼玉の神社」による若宮八幡神社の由緒

若宮八幡神社<新座市野火止三-一三-八(菅沢字稲荷窪)>
当地草分けの長谷川家所蔵の正徳六年(一七一六)「草庵再造記」によれば、明暦二年(一六五六)に武蔵国橘樹郡菅沢村(横浜市鶴見区菅沢町)の農民一一名がこの地を開発し、菅沢新田と名付けた。
当社は『明細帳』に「創立寛文元年(一六六一)八月十五日」とある。一方、社記によれば、古老の伝えとして、正平九年(一三五四)に当地の愛宕裏に愛宕神社が創建され、下って延宝元年(一六七三)に武蔵国池上(東京都大田区池上)から移した神社とこの愛宕神社を合祀して、現在の稲荷窪の地に奉斎したという。池上から移した神社とは、日蓮宗の大寺・池上本門寺の鎮守とされた八幡神社の分霊を指すものと思われ、その御子神として祀ったことから「若宮」が冠されたのであろう。また、当社の隣にある日蓮宗番星寺は「妙福寺日数十界曼茶羅」によれば、もと豊島郡徳丸村(東京都板橋区)にあり、寛文年間(一六六一-七三)に中山法華経寺(千葉県市川市)から寺号・山号を受け、開基檀那長谷川忠兵衛が菅沢村に移したものである。番星寺が菅沢村の菩提寺であることや、当社の隣に堂を構えることなどからみて、村の鎮守である当社の別当であったと推測されるが、江戸後期には無住であった。ちなみに日蓮宗では八幡神は護法神とされる。
明治初年に村社に列し、昭和三年には御大典記念として拝殿を新築し、本殿・拝殿を改築した。(「埼玉の神社」より)


若宮八幡神社の周辺図




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