東光院。足立坂東観音霊場
東光院の概要
真言宗智山派寺院の東光院は、氷川山と号します。東光院の創建年代等は不詳ながら、江戸時代後期に編纂された新編武蔵風土記稿に「新義眞言宗、瀧馬室村常勝寺門徒、氷川山と號、本尊薬師。觀音堂 正觀音なり」と記載され、氷川神社(氷川天満神社に合祀)の別当を勤め、また観音像は元禄15年(1702)頃に開創した足立坂東観音霊場10番となっていました。明治維新後廃寺とされ、墓地は圏央道建設に伴い、当地へ移転されています。
山号 | 氷川山 |
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院号 | 東光院 |
寺号 | - |
住所 | 桶川市加納1077 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東光院の縁起
東光院の創建年代等は不詳ながら、江戸時代後期に編纂された新編武蔵風土記稿に「新義眞言宗、瀧馬室村常勝寺門徒、氷川山と號、本尊薬師。觀音堂 正觀音なり」と記載され、氷川神社(氷川天満神社に合祀)の別当を勤め、また観音像は元禄15年(1702)頃に開創した足立坂東観音霊場10番となっていました。明治維新後廃寺とされ、墓地は圏央道建設に伴い、当地へ移転されています。
境内石碑による東光院の縁起
記念碑
東光院墓地(加納一〇七六番地)・この度圏央道桶川インターチェンジ建設に伴い、先祖代々が眠る墓地移転され、不承不承この地に移る。
先祖の霊心安らかならんことを祈る
平成二十五年三月春彼岸(境内石碑より)
新編武蔵風土記稿による東光院の縁起
(上加納村・下加納村)
東光院
新義眞言宗、瀧馬室村常勝寺門徒、氷川山と號、本尊薬師、
觀音堂。正觀音なり(新編武蔵風土記稿より)
「桶川市史第七巻社寺文化財編」神社寺院明細帳による東光院の縁起
記載なし(「桶川市史第七巻社寺文化財編」神社寺院明細帳より)
東光院の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」