安養寺。比企郡嵐山町大蔵にある天台宗寺院
安養寺の概要
天台宗寺院の安養寺は、大乗山寂光院と号します。安養寺の縁起については不詳ながら、廣覺が応永元年(1394)に草創したと伝えられ、明治維新後の神仏分離令まで大蔵山王社(大蔵神社)の別当を勤めていました。当寺山門は、天保10年(1839)の造営で、嵐山町考古資料に指定されています。
山号 | 大乗山 |
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院号 | 寂光院 |
寺号 | 安養寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 比企郡嵐山町大蔵299 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
安養寺の縁起
安養寺の縁起については不詳ながら、廣覺が応永元年(1394)に草創したと伝えられ、明治維新後の神仏分離令まで大蔵山王社(大蔵神社)の別当を勤めていました。
新編武蔵風土記稿による安養寺の縁起
(大蔵村)
山王社別當安養寺
天台宗、下青鳥村浄光寺の末、大乗山寂光院と稱す、本尊阿彌陀を置り、開山廣覺應永元年草創とのみ傳へり、されど是等に據れば、山王社も舊きものなるべし、(新編武蔵風土記稿より)
安養寺所蔵の文化財
- 安養寺山門(嵐山町指定建造物)
銅造阿弥陀如来及び両脇侍立像
当山門は、棟札から江戸時代後期天保十年(一八三九)の造営と知れる。天台の宗門にふさわしく、重厚で気品あふれる風格をそなえ、貴族的趣味を彷彿とさせる。一部籠彫りの唐獅子・龍・花鳥が配される。
棟梁は、棟札に「河原明戸村飯田和泉藤原金軌」とある。現在の熊谷市(旧大麻生村)の人で、当代北武蔵の名工と名高い。
なお、東松山市八雲神社社殿、川越市氷川神社の彫刻など、天保期の造営となる建造物の棟札にも飯田姓を多く見ることができる。これら一連の工匠と彫工は、同族飯田一族と推察されるが、その卓越した技法は群を抜いている。(嵐山町教育委員会掲示より)
安養寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿