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馬込第六天神社。さいたま市岩槻区馬込の神社

馬込第六天神社の概要

馬込第六天神社は、さいたま市岩槻区馬込にある神社です。馬込第六天神社の創建年代は不詳ながら、「ここの第六天様は、大戸(現岩槻市大戸)の第六天様より古い」と口承され、江戸期には馬込村の鎮守社だったといいます。

馬込第六天神社
馬込第六天神社の概要
社号 第六天神社
祭神 面足命、惶根命
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市岩槻区馬込200
祭日 -
備考 -



馬込第六天神社の由緒

馬込第六天神社の創建年代は不詳ながら、「ここの第六天様は、大戸(現岩槻市大戸)の第六天様より古い」と口承され、江戸期には馬込村の鎮守社だったといいます。

新編武蔵風土記稿による馬込第六天神社の由緒

(馬込村)
第六天社
村の鎮守なり。

雷電社
八幡社
以上の社は正蔵院持。

不合尊不葺合明神社
鸕鶿草葺不合尊を祀し社なるべし、満蔵寺持。

愛宕社
同寺持。

神明社四宇
金山権現社
稲荷社四宇
氷川社
山王社
山神社
白山社
熊野社二宇
天神社
荒神社
以上の神社は村民持なり(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による馬込第六天神社の由緒

御祭神は面足命(おもたるのみこと)惶根命(かしこねのみこと)の夫婦神で、魔除けの神といわれており、諸願成就の御神徳あらたかな神として崇敬されている馬込の鎮守様です。
第六天社は江戸時代に魔除けの神として関東地方に広く祀られたと伝えられております。
当神社は元は小字岡組の氏神様として小さな社に祭られておりましたが、魔除けの神であるところから、神の加護による生活の安寧を願った村民が結集し、村のまとまりの中心、武州馬込村の鎮守として勧請し、天保4年(1884年)現在地に大きな社殿を造営して遷座、全村民が氏子となって先祖代々、帰依し現在にいたっております。
現社殿は旧社殿の老朽化により、昭和48年、氏子の建設費負担によって新築造営されました。
第六天神社の第六天とは、仏教の教典の中に存在する「第六天魔王」にあやかったものと伝えられております。(境内掲示より)

「埼玉の神社」による馬込第六天神社の由緒

第六天神社<岩槻市馬込二〇〇(馬込字一番耕地)>
馬込は、大宮台地の東縁に位置しており、飯野八幡宮文書の永仁二年(一二九四)に伊賀光貞が父の頼泰から「うるうとの村」やそれに附属する「みくら・まこめ」などを譲られた旨の記述から、既に鎌倉時代には村が開発されていたことがうかがえる。後に馬込は東隣の平林寺村にあった平林寺領となり、平林寺文書には、永禄十年(一五六七)には太田氏資、天正十四年(一五八六)には太田氏房によって安堵された記録が残っている。
当社は、『風土記稿』馬込村の項に「第六天社 村の鎮守なり」と記されているように、この馬込の鎮守として祀られてきた社で、江戸時代には地内の正蔵院という天台宗の寺院が別当であった。当社の創建の時期は定かではないが、氏子の間では、「ここの第六天様は、大戸(現岩槻市大戸)の第六天様より古い」といわれている。これは、馬込の村の開発が古いことに起因する伝承かと思われるが、残念ながら創建の古さを伝える資料は現存しない。
神仏分離によって、当社は正蔵院の管理を離れ、明治六年に村社になった。一方、正蔵院は明治四年に廃寺となり、堂宇も間もなく取り壊されてしまったらしく、『郡村誌』馬込村の項には「正蔵院廃跡 村の西南地岡にあり(以下略)」との記述がある。当社の五〇〇メートルほど西方にある墓地は、この正蔵院の跡地である。(「埼玉の神社」より)


馬込第六天神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)