足立神社。旧称氷川社、延喜式内社足立神社の論社
足立神社の概要
足立神社は、さいたま市西区飯田にある神社です。足立神社は、明治40年に植水村内にあった村社及び無格社計30社を合祀、当地にあった村社氷川神社を改号したといいます。社号の「足立神社」は、【延喜式】神名帳に記載される社で、足立郡に鎮座していたといい、当社に合祀された植田谷本の足立神社が、【延喜式】神名帳記載の社に該当するのではないかといいます。
社号 | 足立神社 |
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祭神 | 天神七代尊、地神五代神、日本武尊、市杵島姫命、多岐都比売命、猿田彦命、大国主神、天手力男神、菊理姫命、倉稲御魂命、応神天皇、菅原道真 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | さいたま市西区飯田54 |
祭日 | - |
備考 | 旧村社 |
足立神社の由緒
足立神社は、明治40年に植水村内にあった村社及び無格社計30社を合祀、当地にあった村社氷川神社を改号したといいます。社号の「足立神社」は、【延喜式】神名帳に記載される社で、足立郡に鎮座していたといい、当社に合祀された植田谷本の足立神社が、【延喜式】神名帳記載の社に該当するのではないかといいます。
新編武蔵風土記稿による足立神社の由緒
(植田谷本村)
足立神社
名主勘太夫が屋舗の内にあり、打開けたる地なれば、古迹とは思はれざれど、社邊に大木二三株立るを以て見れば、昔は樹木生茂りて幽邃の地なりしを、居宅の邊りなれば、後世切開きしも又知るべからず、相傳へて【延喜式】神名帳に載する足立神社は、即當社なりと云此説もし然らんには【當國風土記】に、神田六十束、四圍田、大日本根子彦太日天皇御宇、二年戊子所祭猿田彦命也、有神戸巫戸等と記すものにして最古社なり、されど正しき證迹なければいかにとも定めがたし、或は云しかはしらず當所は藤九郎盛長の領地にして、在住せしよしなれば、盛長歿後其靈を祀りしゆへ、足立の社と號せしを、稱呼の同じければ誤り傳へて、神名帳の足立神社と定めしものならんと、是ことに牽強の説といふべし、盛長が當郡に住せざることは前に辨ぜるが如し、もしくは足立右馬允を誤り傳へしにや、されどそれも慥かなる據なき時はうけかひがたし。
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神明社
以上二社、名主勘太夫持
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稲荷社二宇
此二社百姓持。
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(飯田村)
氷川八幡合社
光善寺の持、村の鎮守なり、當社に天下一獅子と刻める古き獅子面ありしが、それをば失ひたりとて今のは寫しなり、されど普通のものとは品かはりて頗色古様なり。
(水判土村)
山王塚
慈眼寺の西の方にあり、山上に山王を安ずるゆへかく名付く、近き頃太刀・刀の折など多く掘出せしことあり、土中に石室埋れてありと傳へたり。 (新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による足立神社の由緒
足立神社<大宮市飯田五四(飯田字観音前)>
『延喜式』神名帳には、武蔵国足立郡内の神社として、氷川神社・足立神社・調神社・多気比売神社の四社の名が記されている。これらの諸社のうち、足立神社は、古代における殖田郷に鎮座し、この殖田郷を本拠地とした在地の豪族足立氏が奉斎した神社であったものと思われる。しかし、長い年月の間に衰微した時期があったためか、江戸時代は足立神社を称する社が幾つかあるという状況になった。
植田村本村に鎮座していた足立神社は、『風土記稿』にも「名主勘太夫が屋敷の内にあり(中略)神名帳に載する足立神社は、即当社なりと伝」と載るように、式内社の有力な候補とされてきた社である。また、水判土村にも足立神社があり、慈眼寺の裏手の、ちょうど大宮台地の指扇支台の最南端に当たる所に鎮座し、村の鎮守として祀られていた。このほか、水判土村の山王塚にも足立神社が祀られていたという伝えもある。
一方、飯田村では、下組は氷川神社、上組は氷川八幡神社を鎮守として祀っていた。そのうち下組の氷川神社が明治六年に村社となり、明治四十年、政府の合祀政策に従って、そこに当時の植水村内にあった村社及び無格社計三〇社を合祀した。その中には、植田村本村と水判土の足立神社も含まれており、この合祀を機に氷川神社の社号は足立神社と改められた。(「埼玉の神社」より)
境内掲示による足立神社の由緒
足立神社は、平安時代にその名が見える古い神社です。植水地区を中心とした殖田郷に本拠をおいた平安時代の豪族足立氏が奉斎する氏神でしたが、崇敬者も増え朝廷の『延喜式神名帳』に登載されるほどになりました。この神名帳にみえる足立神社だとする社が、浦和市・鴻巣市・市内宮原町にもありますが、『新編武蔵風土記稿』では足立氏の子孫と伝える植田谷本村の名主小島勘太夫家屋敷内にあった足立神社をそれと記しています。
この足立神社は明治40年に植田谷地内の12社を合祀して、氷川神社の社号を足立神社と改称したものです。
この歴史散歩コースは鴨川を中心とする植水~三橋を訪ねるもので、東へ向かうと慈眼寺・水判土観音、南東は袋の観音寺・林光寺などへ続いています。(さいたま市教育委員会掲示より)
足立神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「さいたま市史料叢書」(さいたま市)
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