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大宮浅間神社。さいたま市大宮区浅間町の神社

大宮浅間神社の概要

大宮浅間神社は、さいたま市大宮区浅間町にある神社です。大宮浅間神社の創建年代は不詳ですが、当地の盛り土は、見沼代用水工事に際して測量のための三角点として築かれたもので、三角点の距離が千間だったことから千間山と呼ばれていたと伝えられます。宝永4年(1707)の富士山噴火以後浅間信仰が盛んとなっていたことから、当地でも浅間神社を祭るようになったと思われるといいます。

大宮浅間神社
大宮浅間神社の概要
社号 浅間神社
祭神 -
相殿 -
境内社 浅間稲荷
住所 さいたま市大宮区浅間町2-21-5浅間町自治会館
祭日 初山行事7月1日
備考 -



大宮浅間神社の由緒

大宮浅間神社の創建年代は不詳ですが、当地の盛り土は、見沼代用水工事に際して測量のための三角点として築かれたもので、三角点の距離が千間だったことから千間山と呼ばれていたと伝えられます。宝永4年(1707)の富士山噴火以後浅間信仰が盛んとなっていたことから、当地でも浅間神社を祭るようになったと思われるといいます。

境内掲示による大宮浅間神社の由緒

浅間山由来(千間山思考)
日光門跡輪王寺宮四代公寛親王が上野寛永寺と日光間を三往復されていた折に街道筋の幕府から請地している者たちが、沼地の干拓を熱望していることを聞き徳川八代将軍吉宗に用水路の普請と沼地の干拓を進言したことから見沼代用水工事が幕府直轄で始まることとなった。
徳川吉宗の命により享保十年八月から普請役安田太左衛門はこの工事を行うための測量、設計に必要な三角点の一つが現在の浅間山の地点にもとめられた。
付近の荒れ地から土を運び、山を築き、櫓を組み水平版を設置して用水路の通過地点の高低を測る工事を施工した。この三角点との距離が大体千間あったので、当時の住民はこの山を千間山と呼んでいた。江戸中期には山岳信仰が盛んとなり、当地でも富士山の浅間神社をこの山に祭ることになり、浅間山と呼ぶようになったものと思われる。
浅間神社
浅間山の祠には山岡鉄舟が揮毫した「浅間祠」の碑があります。鉄舟は政治家で勝海舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と称された傑物です。鉄舟が片柳染谷村の常泉寺に逗留していた頃浅間様の有力な氏子の依頼にて鉄舟が揮毫したもので、富士山の方角に向けられており浅間祠の碑は明治十八年にたてられたものであります。
浅間神社例祭
富士山山開きの毎年七月一日に初山の行事が行われます。この日の前一年に生まれた子供たちが親に抱かれてお詣りし、お祓いを受け、子供の額に「初山」の朱印を押してもらい団扇をうけ親戚や知人に配って子供の健康を祈るものです。
浅間稲荷
東松山箭弓稲荷のお札をお祀りしてあります。
五穀豊穣商売繁盛交通安全等の祈願社として信仰されています。
御祭日
初午祭(三月初午)
平成二十七年三月吉日 浅間町自治会館管理委員会(境内掲示より)


大宮浅間神社の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)