宝来福寿庵。さいたま市指定有形民俗文化財の百観音
宝来福寿庵の概要
天台宗寺院の宝来福寿庵は、さいたま市西区宝来にある福寿庵です。宝来福寿庵は、僧是心が観音堂として元禄14年(1701)に建立、昭和17年より福正寺が管理しているといいます。当庵の百観音はさいたま市有形民俗文化財に指定されている他、足立新秩父三十四ヶ所霊場29番となっています。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | 福寿庵 |
住所 | さいたま市西区宝来 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宝来福寿庵の縁起
宝来福寿庵は、僧是心が観音堂として元禄14年(1701)に建立、昭和17年より福正寺が管理しているといいます。
新編武蔵風土記稿による宝来福寿庵の縁起
(下寶来村)
觀音堂
如意輪観音を安ず、これも(慈覺)大師の作なり、是心と云る僧元禄十四年此堂を起立す、明現寺持、(新編武蔵風土記稿より)
「さいたま市史料叢書」による宝来福寿庵の縁起
天台宗(宝来)
埼玉県管下武蔵国北足立郡宝来村字八反田
「昭和十七年三月十八日北足立郡指扇村大字別所天台宗福正寺ヘ所属ノ件認可ス」
天台宗 福寿庵
一本尊:如意輪観世音
一由緒:不詳
一堂:間口三間奥行三間三尺
一庫裏:間口三間奥行三間三尺
一境内:弐百弐拾四坪、民有地第壱種「村持」
一境内所有地:一田壱反五畝拾五歩 字八反田 此地価金六拾円七拾壱銭壱厘
一畑七畝拾八歩 仝金拾壱円四拾三銭壱厘
一信徒:五百拾人
一管轄庁迄:三里拾丁
以上(「さいたま市史料叢書」より)
宝来福寿庵所蔵の文化財
- 福寿庵百観音 百三躯(さいたま市指定有形民俗文化財)
福寿庵百観音 百三躯
百観音とは、西国三十三所・坂東三十三所・秩父三十四所の各観音霊場を合わせた百躯観音像を一堂に勧請したものです。
ここ福寿庵では、中尊の木造如意輪観音坐像を宮殿に安置するほか、計百二躯からなる木造・銅造の観音像を建物の奥壁に設けた四段の壇上に安置されています。これらは、福寿庵の開創者である是心に関する資料などから、元禄十四年(一七〇一)から享保八年(一七二三)の間に勧請されたと推定することができますが、度重なる水害で、流失や破損などを被り、当初の像がそのまま伝わっている可能性は高くはありません。しかし、修理や流出した仏像を補いながら信仰を続けてきたことは貴重で、現在も十二年毎の御開帳には多くの人々の巡拝をみており、この地域における民間信仰の奥深さを示す資料といえます。
なお、御開帳は、午歳の春に行われます。(福寿庵・さいたま市教育委員会掲示より)
宝来福寿庵の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「さいたま市史料叢書」(さいたま市)