佐知川願満堂。さいたま市西区佐知川にある天台宗寺院
佐知川願満堂の概要
天台宗寺院の佐知川願満堂は、さいたま市西区佐知川にある願満堂です。佐知川願満堂の創建年代等は不詳ながら、願満堂所蔵の鰐口に「寛文九年」銘があることから寛文9年(1669)年以前に創建、古くより國昌寺の境外仏堂だといいます。
山号 | - |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 願満堂 |
住所 | さいたま市西区佐知川 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
佐知川願満堂の縁起
佐知川願満堂は、元禄3年阿弥陀如来を安置するために堂宇を建立、我満堂と称するとも願満堂と称するともいい、昭和16年から水判土慈眼寺の管理だといいます。境内の板碑は、覚音院にあったもので、明治6年に廃寺となり、当地へ移したものだといいます。
新編武蔵風土記稿による佐知川願満堂の縁起
(佐知川村)
該当なし(新編武蔵風土記稿より)
「さいたま市史料叢書」による佐知川願満堂の縁起
天台宗願満堂(佐知川)
埼玉県管下武蔵国北足立郡佐知川村字粕田
「昭和十六年十二月三日北足立郡植田谷本村大字水判土慈眼寺ヘ所属ノ件認可ス」
天台宗願満堂
一本尊:阿弥陀如来
一由緒:元禄三年初メテ該堂ヲ新築シ、本尊ニハ阿弥陀如来ヲ安置シ、諸願成就スト、依テ願満堂ト称ス、旧記ハ不詳ト雖トモ、郷老ノ口伝ナリ、往古ハ我満堂ト称シタリ、是ハ誤記ナリト云伝フ
一本堂:間口壱間奥行弐間半
一境内:五拾六坪 民有地第一種飯井貫之助外四十人共有
一信徒:四拾壱人
一管轄庁迄:二里拾三町
以上(「さいたま市史料叢書」より)
さいたま市教育委員会掲示による佐知川願満堂の縁起
「がまんどう」と呼び親しまれているお堂で、佐知川の人々の墓地となっています。墓地へ入った南側に保存されている板碑は、文永5年(1268)5月造立を最古に、年号のわかる新しいものでは天文12年(1543)のものがあります。いずれも北方にあった覚音院(明治6年廃寺)に所在していたものを保存のため移動したものです。また、江戸時代前期の天和2年(1690)、元禄3年(1690)の庚申塔が2基保存されており、佐知川村の人々により建てられたことが彫られています。
徳川家康が旗本数騎馬とともにここで休憩をしようとしたものの、戦機急にして小休止も許さず、当地で休むことを我慢して通りすぎたことから「がまんどう」と呼ぶようになったと言う伝説があります。
南は、水判土観音、鳶坂、並木橋を経て、家康が休憩してお茶を飲んだという茶室に至り、さらに大宮や与野へと都筑、北は金山神社、高城寺、荒川を経て川越へと結ばれています。(さいたま市教育委員会掲示より)
佐知川願満堂の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「さいたま市史料叢書」(さいたま市)