入間野神社。狭山市南入曽の神社

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入間野神社。建久2年創建、旧称国井神社・御嶽大権現

入間野神社の概要

入間野神社は、狭山市南入曽にある神社です。入間野神社は、建久2年(1191)の創建と伝えられ、旧号を国井神社、後に御嶽大権現と称していたといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より10石の御朱印状を拝領、明治44年に大字水野にあった浅間神社を合祀、入間野神社と改めたといいます。

入間野神社
入間野神社の概要
社号 入間野神社
祭神 大山祇命、木花咲耶姫命
相殿 天照大神他六神
境内社 入間招魂社
住所 狭山市南入曽640-2
祭日 -
備考 -



入間野神社の由緒

入間野神社は、建久2年(1191)の創建と伝えられ、旧号を国井神社、後に御嶽大権現と称していたといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より10石の御朱印状を拝領、明治44年に大字水野にあった浅間神社を合祀、入間野神社と改めたといいます。

新編武蔵風土記稿による入間野神社の由緒

(南入曽村)
御嶽社
村の鎮守なり、社領として慶長二年十石の御朱印を賜はる、當社は古き勧請なるにや、近き頃まで文明二年庚寅三月日惣旦那と鐫たる鰐口などありしと云。
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稲荷社
天満宮
神明社
大日堂
地蔵堂
以上共に金剛院の持。 (新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による入間野神社の由緒

入間野神社(狭山市南入曽六四一)南入曽字御嶽堂
鎮座地南入曽は、武蔵野台地の一角を占める狭山丘陵上に位置するため、古来、農耕は天水を頼るしかなかった。そのため、隣接する北入曽にある「七曲の井」や掘兼にある「掘兼の井」などの旧跡に見られるように、この地域では古くから大規模な井戸が掘削されてきた町である。国井神社という当社の古称から、当社は井戸の神・水の神として、祀られたとも考えられる。
社伝によれば、当社の創建は建久三年と伝え、古くは国井神社と称していたが、後に御嶽大権現と改lめたという。改称の年代は明らかではないが、内陣に納める祭神大山祇命の本地仏である石像の銘文に「天正六年戊寅卯月」とあるところから、あるいはこの年に御嶽大権現を勧請し、社名を改めたものかと推察される。
明治初めの神仏分離により、別当であった金剛院の管掌を離れ、社号を御嶽神社と改め、明治五年には南入曽の村社となった。同四〇年には八坂神社・天神社・稲荷社・神明社の四社を合祀し、更に、同四四年には水野の村社で木花咲耶姫命を祀る浅間神社を合祀すると同時に社名を入間野神社と改めた。よって、覆屋の中には、流造りの御嶽神社本殿と春日造りの浅間神社本殿とが並んで奉斎されている。(「埼玉の神社」より)

埼玉県・狭山市掲示による入間野神社の由緒

入間野神社の主祭神は大山祇命と木花咲耶姫命で、合祀神として天照大神ほか六神を祀っている。
社伝によると、当社は建久二年(一一九一)の創建と伝えられ、石造の御神体には天正六年(一五七八)の年号が刻まれている。旧号を国井神社、後に御岳大権現と称し、社領として慶安二年(一六四九)に十石の御朱印を賜わっている。
明治元年の社号改正につき、御岳神社と改称したが、明治四十四年に大字水野にあった浅間神社を合祀し、現在の名称となった。
大祭は毎年四月十五日、十月十五日、十一月二十三日に行われるが、特に十月十五日には県指定文化財の「入曽の獅子舞」が奉納される。当社には宝暦八年(一七五八)の獅子舞の絵馬があるので、それ以前から伝承されているものと思われる。(埼玉県・狭山市掲示より)


入間野神社所蔵の文化財

  • 入曽の獅子舞(埼玉県指定文化財)

入曽の獅子舞

入曽の獅子舞は、埼玉県西部地方を代表とする郷土芸能として、毎年十月第三土曜日・日曜日に行われ、南入曽の金剛院と入間野神社に奉納されます。その理由は入間野神社はかつて御嶽権現(みたけごんげん)と称していましたが、金剛院はその別当寺(べっとうじ 神仏分離以前に神社に設けられた寺院)だったためで、土曜日は金剛院で揃獅子(そろいじし)が行われ、日曜日には本獅子(ほんじし)が入間野神社に奉納されます。これは神仏混淆(こんこう)であったころの名残といえます。
この獅子舞の歴史は古く、入間野神社所蔵の獅子舞を描いた奉納絵馬には「宝暦八年(一七五八)九月当村中」とあるので、その起源は少なくとも江戸時代中期までさかのぼることができます。また、天狗が持つ軍配には「風雨和順五穀成就」とあり、かつては豊作を願って村内を舞って歩き、日照り続きのときは雨乞いや悪疫退散を祈願して舞ったこともあるといわれています。
獅子舞の構成は、獅子役三人、天狗(はいおい)一人、棒使い二人、花笠(ささら)四人で、これに笛役八人、ほら貝一人が加わります。舞は勇壮で、「前狂い」と「後狂い」があり、前狂いは、いりは(入庭)、ごろしち、まわり狂い、竿がかり、まわり狂い、花吸い、まわり狂い、唄、ひきは(引庭)の順で、後狂いは、みつっぱえ、まわり狂い、唄、けんか、ひきはの順で舞います。(埼玉県教育委員会・狭山市教育委員会掲示より)

入間野神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿