大福寺。比企郡ときがわ町田黒にある天台宗寺院
大福寺の概要
天台宗寺院の大福寺は、延命山地蔵院と号します。大福寺の創建年代等は不詳ながら、賢仙が開山したといいます。当寺後背にある小倉城跡は「居館と目される大福寺平場とその背後に展開する梯郭式の要害部から構成される根小屋式山城(小倉城跡)」であることから、小倉城が機能していた頃は居館として利用され、天正18年(1590)に廃城となった後、旧城主遠山衛門大夫藤原光景の夫人が関与して居館を寺として建立されたものと推測されます。
山号 | 延命山 |
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院号 | 地蔵院 |
寺号 | 大福寺 |
本尊 | 地蔵菩薩像 |
住所 | 比企郡ときがわ町田黒608 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大福寺の縁起
大福寺の創建年代等は不詳ながら、賢仙が開山したといいます。当寺後背にある小倉城跡は「居館と目される大福寺平場とその背後に展開する梯郭式の要害部から構成される根小屋式山城(小倉城跡)」であることから、小倉城が機能していた頃は居館として利用され、天正18年(1590)に廃城となった後、旧城主遠山衛門大夫藤原光景の夫人が関与して居館を寺として建立されたものと推測されます。明治維新後の神仏分離まで田黒日枝神社、及び小倉城跡に鎮座していた熊野社の別当を勤めていました。
新編武蔵風土記稿による大福寺の縁起
(田黒郷)
熊野社別當大福寺
天台宗、下青鳥村浄光寺の末、延命山地蔵院と號す、開山の僧を賢仙と云、示寂の年代を失ふ、本尊地蔵を安ず、
地蔵堂(新編武蔵風土記稿より)
大福寺所蔵の文化財
- 遠山衛門大夫藤原光景室葦園位牌(町指定文化財)
遠山衛門大夫藤原光景室葦園位牌
(田黒郷)
小倉大福寺に伝わる位牌である。寺裏山に所在する小倉城の城主遠山衛門大夫藤原光景夫人のものと伝えられている。高さ86センチ、幅13センチを計り桐材え作られ、表には「華楽院殿妙香大禅定尼」裏には「遠山衛門大夫藤原光景室葦園」と記されている。(境内掲示より)
大福寺の周辺図