日月神社。所沢市北秋津の神社
日月神社の概要
日月神社は、所沢市北秋津にある神社です。日月神社の創建年代等は不詳ながら、秋津村の鎮守社として創建したとも、東方の大堀山館の鎮守として創建したともいいます。秋津村が南北に分村してより北秋津村の鎮守社となっていたといいます。
社号 | 日月神社 |
---|---|
祭神 | 大日孁貴尊、月読尊 |
相殿 | - |
境内社 | 御嶽社、愛宕社、稲荷社 |
祭日 | - |
住所 | 所沢市北秋津367 |
備考 | - |
日月神社の由緒
日月神社の創建年代等は不詳ながら、秋津村の鎮守社として創建したとも、東方の大堀山館の鎮守として創建したともいいます。秋津村が南北に分村してより北秋津村の鎮守社となっていたといいます。
新編武蔵風土記稿による日月神社の由緒
(北秋津村)日月社
村の鎮守なり、持明院の持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による日月神社の由緒
日月神社<所沢市北秋津三六七(北秋津字峰際)>
柳瀬川を挟んで、秋津の地はあったが、明治期、川を境にして南北に分け、北秋津が埼玉県に、南秋津が東京都に属した。
当社は秋津の鎮守として創建されたと伝えられるが、後に南秋津が氷川社を鎮守として祀ったため、当社は北秋津の鎮守となった。社殿は古くは境内にある槻の根元に奉斎されていたが、後に境内へ盛り土を行い石段を設け、社殿を新たにした。
この槻は「蜻蛉の宿生木」として知られ、伝えによればこの地に住む殿様が無理ばかりいう人で、家来に「蜻蛉を自分の年齢だけ捕えてまいれ」と命じたが捕えた蜻蛉の数が一匹足りず、これを怒った殿様は家来を斬り、蜻蛉を一固まりに握りつぶして日月大明神の神木へ投げつけ「祠の主、神としての力があるならば、蜻蛉の固まりをこの木の宿生木としろ、できなければ祠を取り壊す」というとたちまち御神木から宿生木が生え、同時に殿様は啞となり二度と無理が言えなくなったという。また、この殿様は社の東方の大堀山館と呼ばれる所に住んでいて、当社は館の鎮守として祀られたともいわれる。
祭神は大日孁貴尊と月読尊である。境内末社に御嶽社・稲荷社・愛宕社があり、飛び地境内社として東原井に八雲神社がある。
江戸期にあっては真言宗持明院持であったが、明治に入ってからは鳩峰八幡社社家の嶺家が代々祀職を務め、現在嶺崇が奉仕している。(「埼玉の神社」より)
日月神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)