今市児泉神社。今市・鷹巣の鎮守、新田氏に関する伝承
今市児泉神社の概要
今市児泉神社は、寄居町今市にある神社です。今市児泉神社は、日本武尊が東国下向の途次休息した地に勧請したと伝えられます。その後新田氏一族の岩松直国が、当社参詣の際、新田義宗の遺児と出会い、遺児を長子満国の嫡嗣岩松満純と名乗らせ、随一の弓取りとなることを願って児泉神社と改号したとも、また或いは新田義重が当社で流鏑馬を行った際、用いた弓矢を当社に納めたことから児泉神社と称するようになったとも伝えられます。江戸期には今市・及び(元禄年間に今市から分村した)鷹巣の鎮守として祀られ、正保年間(1644-1648に今市と鷹巣境に遷座、さらに大正6年当地へ遷座しています。
社号 | 児泉神社 |
---|---|
祭神 | 日本武尊 |
相殿 | - |
境内社 | 天照大御神・浅間・稲荷・天満・冬住・手長合殿、山神 |
祭日 | 春祭り4月15日、秋祭り10月17日、冬祭り12月15日 |
住所 | 寄居町今市690 |
備考 | - |
今市児泉神社の由緒
今市児泉神社の創建年代等は不詳ながら、物見山尾根続きのこんこんと泉が湧き出る地に、児泉明神として祀ったと伝えられます。江戸期には別当を勤めていた高蔵寺が当地へ遷座、村の鎮守として祀られていました。明治40年字冬住の冬住神社、字富士山の浅間神社、字天神原の天神社の無格社三社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による今市児泉神社の由緒
(男衾郡今市村)
兒泉明神社
村の鎮守なり、高蔵寺持、祭神等すべて詳ならず、本地佛は十一面觀音にて、今高蔵寺に置り、
---
富士浅間社
丘の上に建り、是冬住山に遷座する所の神なり、是を上宮と號す、又丘の中腹に石祠をたつ、是を下宮と號す、
---
稲荷社
天神社
共に高蔵寺持なり(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による今市児泉神社の由緒
児泉神社<寄居町今市五九九>
当地は、かつて鎌倉古道にあった宿駅の一つで、物資を江戸方面へは隣村の奈良梨村、上野方面へは赤浜村へ継ぎ送った。地名の今市は中世新たに設けられた市にちなみ名付けられた。現在、宿駅の中央には当社と高蔵寺が、宿駅の二つの入口にはそれぞれ地蔵堂・薬師堂が祀られている。また町並みの南西には物見山がある。
社伝によると、当社は、物見山の尾根続きの地に、こんこんと湧き出る泉に坐す神を、児泉明神として祀ったことに始まる。また、口碑によれば、鎮座地は、初め明神台という地であったが、江戸期、別当を務める天台宗高蔵寺住職が、祭祀及び氏子の参拝の使を図り、寺の西一〇〇Mほど離れた現在地に社を移したという。明神台の地については、現在、どこを示すのか明らかでないが、物見山の麓の泉立寺近辺が、かつて湧き水がよく出た地であったことから、この辺りにあったことが考えられる。
当社には、児泉明神の本地仏として十一面観音菩薩像が祀られていたが、化政期(一八〇四-三〇)に高蔵寺に移されている。現在、本殿には、白幣を奉安している。
『明細帳』によると、明治四十年五月に字冬住の冬住神社、字富士山の浅間神社、字天神原の天神社の無格社三社を合祀している。(「埼玉の神社」より)
今市児泉神社の周辺図